頭のよさを決めるのはだれ? 2024-03-13

こんにちは!

昨夜は飲んでいたため、昨日のブログを本日更新します。

よろしくお願いします。

 

今回のテーマは頭のよさです。

 

 

頭のよさについて

 

今月の課題図書はこちら。

 

この本は「頭のいい人」についてさまざまなことが書かれています。

 

では、頭のよさとは何なのか?

そのことを頭に入れていく必要があります。

 

小学校のときに頭のいい人がいました。

テストで100点ばかりとっている人とか、やたら手をあげて発表する人。

 

子どもの頃は、頭のよさの基準は学校の勉強でした。

勉強ができれば頭がいい認定をみんなから受けるわけです。

 

では大人になってからは何が基準になるでしょう。

 

まわりを見回すといますよね、頭のいい人。

大人になったらテストなんてないのに、なんだか「あの人は頭がいいなぁ」って思える人がいます。

 

では、どんな人が頭いい人って言えるでしょうか。

 

「頭のいい人が話す前に考えていること」の著者、安達裕哉さんはこう言っています。

それは、周りから「頭がよい」と認識されている人です。

その人のことを頭がいいと認識している人が多ければ多いほど、その人は実際に「頭のいい人」なのです。

(「頭のいい人が話す前に考えていること」より引用)

 

頭のよさは他者が決める。

いったん、頭のよさをそう定義づけます。

 

例えば「誰もオレの意見をわかってくれない」って言ってる人がいたとします。

その人が、「オレはいいこと言っているのに、まわりのやつが理解できないんだ」と思ったら大まちがいです。

 

いいことを言っているかどうかを決めるのは自分ではありません。

何か意見を言ったとしても、それを評価するのは他者なのです。

 

このことをおぼえておくと、社会のなかで生きるのにとても役に経ちます。

というのも、いろんな人とコミュニケーションをしていくうえで、コミュニケーションの主体は自分ではなく相手だからです。

 

自分がどう思うかより、相手がどう思うか、これが重要。

どんないいアイデアも、どんないい企画も、相手に伝わらなければ無意味なのです。

 

頭のよさを決めるのは他者という視点を忘れないようにしておきたいです。

 

 

社会的知性が大事

 

安達裕哉さんによると頭のよさは2種類あるのだそうです。

本書では頭のよさを社会的知性と学校的知性の2種類に分けます。

学校的知性とは数字で測れる「IQや記憶力、学力」などひとりで完結する力のことだと考えてください。

社会的知性はひと言で言うと、他者の思考を読み、他者の信頼を得て、他者を動かす能力です。

(「頭のいい人が話す前に考えていること」より引用)

 

先ほど、頭のよさを決めるのは他者だという話をしました。

それを踏まえて、私たちにはどんな頭のよさが必要でしょうか。

 

学校的知性はそれだけでは役に立ちません。

いくら数学の点数がよくても、理科の点数がよくても、それはただの自己完結だからです。

知識や教養は、人のためになってこそようやく役に立つってことですね。

 

真に必要な能力は、社会的知性です。

学校的知性を磨くのは重要ですが、それは人の役に立ってこそ生きてきます。

 

だから、社会で生きていくために、頭のよさは他者が決めるということを念頭において、人とコミュニケーションをとっていきたいものです。

 

これからは知識や教養とともに、社会的知性を身につけていきたいと思います。

 

 

ということで・・・

 

今回は頭のよさについて考えてみました。

私は日頃、学んだことについてブログで書いています。

でも、その学んだこともそのままにしておいては何も役に立ちません。

社会で役に立てることが必要なのだと実感しました。

学んで学びっぱなしはやめておくようにします。

こうやってブログでシェアすることも大切なことなのかなとも思います。

 

では、また明日!

 

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