花のある人になりたい 2024-02-04

こんばんは!

今週も今日で終わりですね。

 

あ、私の週のスタートは月曜日です。

日曜始まりの人がいたらごめんなさい。

 

で、今週もやっと終わりました。

このまま寝たいと思いつつ、やっぱりブログを書いて終わりにしなくては!

 

ということで、今日も書いていきます。

今回のテーマは「花」または「華」です。

よろしくお願いします。

 

 

華のある人になりたい!

 

いつものように雑誌を読んでいたら、「週刊文春」におもしろい記事がありました。

 

週刊誌って、芸能人や政治家のゴシップばかりのイメージがあります。

が、実は、いろんな方が書いている連載がおもしろいんですよね。

 

だって、書き手の経験やら、思想やら、意見やらが満載だから。

 

今回、目にとまったのはこれです。

清水克行さんが書いている「室町ワンダーランド」という連載。

今回は世阿弥のことについて書かれていました。

 

世阿弥といえば文学史で「風姿花伝」という書物を習った程度。

 

それくらい浅い知識しか私にはありません(泣)

 

でも、劇作家としてイギリスのシェイクスピアと並び称される大物なのです。

世阿弥は偉大なんです。

 

たしか「初心忘るべからず」も世阿弥のことばでしたよね!

 

で、清水克行さんによれば、

「あの人には花がある」

というときの「花」ということばを最初に使ったのも世阿弥なんだそうです。

 

「花」は「魅力」とか「オーラ」みたいなニュアンスでよいでしょう。

 

世阿弥は、この「花」ことを「風姿花伝」で、説明しているようです。

 

十二、三歳の頃、姿や声が美しくてチヤホヤされていることについて

しかし、この花は本当の花ではない。ただ、この年頃だけに許された一時的な花なのだ

(「週刊文春」2月8日号より引用)

というふうに書いてあるようです。

 

若さが武器になっている間、それは本当の花とはいえないわけですね。

 

そして、

役者の本当の「花」は生まれ持ったものではなく、ただ修練によって身につくものだ

(「週刊文春」2月8日号より引用)

と強調しているそうです。

 

本当の「花」はただ修練によって身につくものなのです。

 

それで、この記事を読んで思い出しました。

私も若い頃、前職でチヤホヤされていた頃があったこと。

 

仕事で、やることなすことうまくいっていた時期がありました。

会社から2年連続で業績表彰されてしまいまして、すっかり図に乗っていました。

 

あの頃の私は確かに思っていた。

自分には花がある

と。

 

でも、世阿弥がいうように、本当の花ではなかったのです。

 

30代前半の私はすっかり勘違いして、修練することを忘れてしまいました。

その結果、どんどん落ち目になっていき、そのうち社長から怒られることのほうが多くなっていきました。

 

とうとう、私には本当の花が咲きませんでした。

 

さてさて、今の私はどこで花を咲かせればいいのでしょうか。

せめて、もうひと花咲かせたいものです。

 

そこで、思ったのが、ブログです。

いま私がけっこうまじめに取り組んでいるのがこのブログです。

(命をかけて取り組んでいるわけでもありませんが・・・)

 

まずは、このブログで修練を積んでいこうと思います。

きっと、役者だけでなくブログも修練を積んでいけば花があるブロガーになれますよね?

 

そう信じて、日々まじめに文章を書いていこうと思います。

ブログを書くことが、私の修練だ!!!

 

 

ということで・・・

 

ちなみに、今日ブログを書く前に、もっとラフな文章を書こうと思っていました。

でも、自分の文体の癖ってなかなか抜けないものですね。

なんか、かしこまっちゃうなぁ。

これもまた修行です。

 

では、毎日ブログがんばっていきすね!

またあした!

 

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