やる気がないのが当たり前 2021-08-01

毎日毎日、あいかわらず仕事に対するやる気がなくて、いやになってしまう。「どうしたらやる気ってでるんだろうねぇ」などとまわりの人に言ったりもする。

 

むかし勤務していた学習塾の会社でそんなことを言ったら大炎上しただろう。

「やる気は出るものじゃない、出すものなんだよ」

「使命感が足りないんだよ」

「ほんとに生徒のことを考えてるならやる気が出ないのがおかしい」

「社長に対して申し訳ないと思わないのか」

などと袋叩きにあっていただろう。

いまは平和なもので、堂々とやる気がないと言える(笑)。とても健全だな。

 

とは言え、やる気が出ないという状態はやっぱり会社に対しても引け目を感じる。社会人としてもなんとなく嫌なものだ。

そんな毎日を送っているわけだが、先日ひさびさにメルマガ「平成進化論」を読んでいたらこんなことが書いてあった。

人生においてやる気が湧いてくるのは

「特別なボーナスステージのみ」

と、はじめから認識していれば、やる気があるのが特別で、ほとんどの場合はやる気がないのが当たり前、という前提で穏やかに毎日を過ごせます。

(「平成進化論」6534号より引用、メールマガジン【平成進化論】の登録はこちら

 

なるほど、たしかにやる気が出る状態って特別なときである。試験が近いときとか、賞をとれるかどうかの瀬戸際のときとか、そんな特別なときにやる気が出る。

やる気が出ない状態であるのが当たり前なのだ。

さらにこう続く。

こうしたパラダイム転換によって、行動できないことに対して自己嫌悪に陥ることが、ほぼ皆無となります。

行動できないことを自覚するたびに

にんげんだもの

と唱え続ければ良いだけです。

やる気がない自分に対して自己嫌悪に陥る必要はない。やる気がないのが当たり前で、みんなそうなのだから。だからやる気がないときは「にんげんだもの」と唱えればよいのだ。目からウロコだね!

もちろんやる気がない状態を放っておいてはいけないのでなにか対策は立てたほうがよいのだが、まずは自己嫌悪に陥らないことが重要。

そんなことに気が付かせてくれたメルマガだった。

 

さてさて、やる気がなかなかでない私だが、にんげんだものしょうがない!

これからやる気がでないなりにがんばっていこうと思う。