2015-11-16 ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず・・・(№122)

今日のタイトルは鴨長明方丈記』の冒頭です。

 

ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず 

 

ここだけ見るとそんなに難しい意味ではありません。川の流れは絶えないし、そこにある水は同じ水ではないという意味です。

 

世の中は常に変化しているということのたとえとして川をあげています。比較的わかりやすい例ですね。

 

川はわかりやすいのですが、世の中はいつもも変わっています。その変わっている部分を見落としてはいけないなぁということを考えさせられました。

 

最近読み始めた『徳川家康』に織田信長の父、信秀が登場しています。

 

その信秀が言ったことば。

総じて世の中というものは眼には見えぬ間に歩いている。樹上の蝸牛の如く、あるいは水中の貝の如くにな

 

愚かな者の眼には動かぬように映っていてその実、しばらく眼をそらしていると行方は知れなくなってゆく 

 

何も考えずにいると世の中は知らない間に変わっています。

 

私が初めてパソコンを買ったのが1995年、仕事に使うので買ったのですが、比較的まわりの人とくらべて早い方でした。それからパソコンを使う、あるいは持っているのは当たり前になっていきました。

 

あれから20年、いまはパソコンをあったほうが便利だよなんていう人はいません。タブレットスマホがあるからです。

 

iPhoneが発売されたのが2008年で、おそらくスマホをみんな持つようになったのは2010年以降だと思うので、今のようにみんなスマホを持つようになったのはわずかここ5年の間です。

 

10年前には、こんな世の中が来るなんて全く想像がつきませんでした。

 

信秀が言うように「世の中というものは眼には見えぬ間に歩いている」のです。ぼやぼやしていると世の中から取り残されてしまいそうです。

 

もし現代社会でもう少し活躍をしたいと思ったら、この「眼には見えぬ間」を捉えていくことが重要です。

 

時代を読むってやつですね。未来はどうなることやら全く予測がつきません。だから時代が変化したときを確実に捉えていくことが大切だということです。

 

変化の兆しっていうやつは必ずあるはずなので。

 

今日のタイトル「ゆく川の流れは絶えずして・・・」は本当は無常観の説明で用いられるものですが、『徳川家康』に登場した信秀のセリフを見ていたらギクッとしたのでふと思い出したわけです。

 

川の水がいつも変わっていくように世の中も変わっていきます。そして自分も変わっていかなければいけないと思います。