自分で言うのもなんですが、ムカついてもけっこう笑って済ませることができるタイプです。
あるいは、時間が立てばおさまったりしますし、ムカついた相手とも何事もなかったように仕事ができます。
ある意味いやな奴かな。
何考えているかわからないとか言われちゃうかもしれないし、八方美人とか言われちゃうかもしれない。
でも、いいんです。
仕事は仕事、自分の感情がどうであろうと、与えられた仕事をすればいいんです。
ところが、この日は怒りが爆発。
職場でムカついたやつがいたので。
でも、怒りに任せてそいつに向かって何か言えば、絶対に暴言を吐くので、しばらくクールダウンしてから文句を言いました。
ただ、言ってる最中にだんだんイライラしちゃったんですけどね。
まあ、こんなことで怒っているようじゃダメだなぁと思った次第です。
オレってまだまだだぁ~~!!!
そこで、自分の考え方を見直してみよう。
まず、私はこういう原則を持って生きています。
刺激と反応の間には選択の自由がある
これは、ビジネス書の名著『七つの習慣』に書いてあったことば。
この本の中で、第二次世界大戦時にナチスドイツの強制収容所に送られたユダヤ人のヴィクトール・フランクルが「刺激と反応の間には選択の自由がある」という原則を発見したとあります。
フランクルは強制収容所の中でいろんな拷問を受けたわけですが、それが自分に与える影響を自分自身で選択することができたそうです。
と言ってもピンとこないので、身近な例を。
たとえば
「今日は雨が降ってるなぁ」
という刺激があったとします。
それに対してどう反応するか
「雨はやだなぁ」
「今日も憂鬱だぁ」
こういうのが一般的ですかね。
しかし、フランクルに言わせれば、その反応は自由に選択できるとのこと。
つまり、雨が降ったということに対して
「恵みの雨だ!」
「たまには雨も降らなきゃ!」
と思うこともできるわけです。
どう反応するかは、その人次第。
もちろん、後者のほうがいいに決まっています。
ちなみに、もう少し『七つの習慣』を読み進めていくと、
前者のような人を反応的な人
後者のような人を主体的な人
とあります。
反応的な人は、周りの物理的な影響を受ける。天気が良ければ、気分もよくなる。ところが天気が悪いと気持ちがふさぎ、行動も鈍くなる。
主体的な人は、自分の中に自分の天気を持っている。雨が降ろうが陽が照ろうが関係ない。自分の価値観に基づいて行動している。
やっぱり主体的な人になりたいですよね。
反応的な人は、まわりの状況に左右されてばかりだから。
で、今日の言いたいこと。
自分が主体的な人間であれば、人に何をされようと、自分の価値観に基づいて行動できるはず。
仕事でムカついてしまったのは、まわりの状況に左右されてしまったからです。
人に何かされたとき、我々は、どう反応するかを選択できます。そして、そのとき自分価値観に基づいていい選択をしていきたいものです。
今回の場合、怒るより前に
「私にまだスキがあったな」
とか
「ふだんからなめられないようにしなきゃ」
とか、思えたはずです。
これ、絶対忘れちゃだめだな。
よし!主体的な人間になるぞ!!