2016-02-11 人生にムダな時間などないのか、それともムダな時間ばかりなのか(№209)

今までは人生にはムダな時間などない、今まで過ごしてきた時間には意味があると思ってきました。

 

中学3年生の夏休み、勉強など一切せず毎日友だちと遊んでくらしていたこと、高校生の時に授業中に先生の話などほとんど聞かずに読書に明け暮れていた毎日、大学生の頃に酒を飲むかバイトばかりだった日々、それらに私は意味があると思っていました。

 

たとえ仕事が休みの日に1日じゅう寝ていたとしてもそれはそれでいいし、夜中にずっとゲームをやっている時間もムダではないと思っていたのです。

 

しかし、一生懸命生きている人にしか「人生にはムダな時間などない」と言えない、と今は思っています。

 

やはり、1日じゅう寝ていることも必要以上にゲームをしていることもムダな時間なのです。

 

Time is life堀江貴文さんは言っています。「時間とは命そのもの」です。時間はすべての人に平等に流れています。しかし、それは限られたものです。

 

がんばればお金はどんどん稼げますが、がんばっても時間を増やすことはできません。どの人の時間も1日は24時間でそれ以上持っている人はいません。

 

その中でできることと言ったらせいぜい、時間を短縮することです。机の上をかたづけといて必要なものはすぐに取り出せるようにしておくとか、スキマ時間をたくさん活用するとか等、そういう工夫をしていくことで自分のやりたいことに費やす時間を増やすことができます。

 

やりたいことが増えていけば増えていくほど一分一秒が惜しくなることは言うまでもありません。そうするとムダな時間は削っていくことになるでしょう。

 

日々、自分のやりたいことのために一生懸命な人は、自分の時間の使い方にムダが多いと思っているはずです。

 

そうすると、今日のブログのタイトルの話になるんですが、一生懸命生きていない人にとっては人生にはムダな時間が多いんだろうという結論になります。ムダばかりなのです。

 

一生懸命生きていくと、ムダな時間を削らずにはいられないのでムダな時間はなくなります。

 

一生懸命な人にとっては、ゲームをする時間も寝すぎた時間もムダです。ムダな時間に対して「人生にムダな時間などない」とは言えないわけです。やりたいことができなくなってしまうのですから。

 

前述のように私は「人生にはムダな時間などない」と思っていましたが、それは一生懸命生きていないことの言い訳だったなと反省しています。

 

私のこれからの生き方は、一生懸命生きること、そのためにムダな時間を極力カットしていくことになります。

 

もうムダな時間ばかり過ごす人生からは卒業します。