3.11を終えて(令和2年3月11日)

どーも、みっちーです。

 

コロナ騒ぎのせいか、例年より3.11があまり話題にあがらなかったような気がする。

 

今年の新型コロナウイルスはまだ猛威をふるっていて、これも後世まで語り継がなければいけない問題だろう。

 

公衆衛生の問題で済むはずであったこのウイルスは、政治問題にもなり、国際的にも問題となり、おそらく次は経済問題として大きく取り上げられるはずだ。

 

日常としては、3月中旬になった現在でもマスクが売っていない。マスクの高額転売が社会問題にもなった。

 

マスク以外にも、トイレットペーパーやティッシュペーパーの買い占めが起きたりもした。

 

このような騒動が再び起きないように、この事象をひとつの事例として今後対処できたらいいと思う。

 

さて、話をもとにもどして、3.11。

 

2011年3月11日に大きな地震が起きた。それは後に東日本大震災と呼ばれた。

 

その頃、私は学習塾で先生をしており、その日は塾の建物の中でいろいろ準備をしていた。

 

そうしたら、その建物がグラグラ揺れた。そこは震度5の揺れだった。

 

震度5なんてメッタに体験しない。しかもその時の揺れはなかなかおさまらなかっった。

 

たぶん、人生の中では一番心に残る揺れだったと思う。

 

建物はグラングラン揺れ、外に出てもあらゆるものが揺れていた。

 

その後、辺り一帯は停電し、電話もつながらなくなった。

 

幸いにして、インターネットでのやりとりはできたので、Gmailなどで、会社の人とは連絡ができた。

 

が、その日は仕事をしている状態でもなかったので、早く家に帰った。

 

あとで、いろんな画像を見て、津波のことも知った。絶句してしまった。

 

あれから9年たち、あの頃も爪痕も消えていった。

 

そして、最近この映画を観た。

www.fukushima50.jp

 

すごかった。

 

あの頃のことを思い出した。

 

映画はすごい迫力で、一瞬も目が離せなかった。

 

あの頃、原発の現場であんなに必死で働いていた人がいたんだなぁというのを認識した。

 

「Fukushima50」を観て、2011年3月11日のことは一生忘れてはいけないと思った。

 

というか、こういうのは後世まで語り継がれるべきものであると思う。

 

日本にはこれまで、数々の悲劇があった。第二次世界対戦での空襲や原爆投下。各地でおこった地震や台風の災害。組織ぐるみの大きな犯罪。

 

そういう悲劇を繰り返さないために、その記憶を残すべきである。

 

大人は子どもへ、その子どもが大きくなったらまたその子どもへと。

 

3.11の記憶を風化させないようにしたい。