詩歌の賞味期限

詩歌に賞味期限などあるのだろうか?

5月29日の日経「文化」欄の記事を読んで
不思議に思いました。

記事を書いたのは俵万智が師事した佐佐木幸綱氏。
内容はこんな感じです。

しんしんと雪ふるなかにたたずめる
馬の眼(まなこ)はまたたきにけり

という短歌をめぐるある高校の研究授業にて
佐佐木幸綱氏が「おやっ」と思ったことが
あったそうです。

この短歌は

雪の降る中で、馬がまばたきをするという意味で
内容はそれほど難しくないでしょう。

しかし、それを見ていて

生徒と先生のやりとりがどこかちぐはぐ
に感じたとのことです。

その理由を以下のように述べています。

生徒が思い浮かべる歌は、
テレビの競馬中継や
映画に出てくるサラブレッドなど
背の高い脚の細い馬なのだ。

先生の方はちがう。
脚がどーんと太い農耕馬である。

これでは、たたずむイメージがちがい、
まばたきをするイメージがちがう。

馬といえばサラブレッドを思い浮かべる社会では、
この歌は理解してもらえない。

もう賞味期限が切れたのだろうか。
(引用ここまで)

これが古い世代と若い世代の
認識のちがいです。

これは教師をやっているとわかりますが
時代が経つにつれどんどん広がっていく感じがします。


さて、文学を鑑賞すること
もっといえば
日本の文化や歴史を知ることに賞味期限があるか。

答えは否でしょう。


たとえば、私は以下のように思うのです。

私は戦後生まれです。
しかし、戦争を知らなくていいのか。

いやもっと知るべきでしょう。

戦争の悲惨さを聞き、学び、そして後世に
伝えていかなければいけないと思います。

それが大人の義務だと思うのです。


我が国最古の和歌集であり
世界に誇れる文学作品である『万葉集』。

それをどれだけ若い世代に伝えられるのか。

文化や歴史というものは
大人から子どもへ
代々言い継がれていくものだと思います。

そういう意味で今回の記事
「詩歌の賞味期限」は
とてもショックを受けました。


万葉集では山部赤人が富士山の
すばらしさを詠んだ次の長歌があります。

天地(あめつち)の 分かれし時ゆ 神さびて 高く
駿河なる 富士の高嶺を の原 振りけ見れば
渡る日の 影も隠ろひ 照る月の 光も見えず
白雲も いきはばかり 時じくぞ 雪は降りける
語り継ぎ 言ひ継ぎゆかむ 富士の高嶺


詳しい説明は割愛しますが、
富士山を徹底的に讃美した歌です。

そして最後に「語り継ぎ 言い継ぎゆかむ」と
述べています。

富士山のすばらしさをずっと
語り継いでいこう、言い継いでいこう
ということです。

それと同じように
日本の文化や歴史は
語り継ぎ、言い継いでいかなければ
いけないと思います。

それが子どもに対しての
大人の義務だと思うわけです。

大人としての義務を
私はもっと果たすべく
自分自身が勉強を続けなければ
いけないと思う次第なのです。


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