こんばんは!
最近、物忘れが激しいお年頃。
とうとうボケてきたのかなぁと思ってしまいます。
まあ、一応、冗談ではあるんですが、いつか冗談でなくなるときがくるのかも。
今回は母の認知症について書いてみようと思います。
いつか自分も認知症になるかも
今回のブログを書こうと思ったきっかけは「サンデー毎日」で連載されている、蛭子能収さんの「えびすごろく」を読んだことです。
今回の「えびすごろく」はこう始まります。
認知症のことを公表してからも、ちょこちょこと仕事の依頼が来る。年が明けてから、毎週、誰かに会っている。
(サンデー毎日2024年2/4号「えびすごろく」より)
そういえば、蛭子さんって認知症だったんだなぁってことを思い出しました。
彼の認知症はけっこう進んでいて、おぼえていないことのほうが多いそうだ。
認知症は私にとってもけっこう身近な病気です。
なぜなら、私の母も認知症だから。
数年前までは、ただの天然ボケだなぁと思っていたんですけどね・・・。
認知症になったきっかけは脳梗塞です。
頭痛で病院にいくと脳梗塞と診断されました。
ただ、それほど重くなく、思ったより早く退院できたようです。
しかし、自宅に戻ってからが大変でした。
いままで1人でできていたことができなくなっていたのです。
脳梗塞がきっかけとなって認知症になってしまったようです。
(その辺の詳しいことはわかりません)
さらに、昨年、肺炎で入院してからは、もっとひどくなってしまいました。
いまは施設にいるんですが、ほとんど無表情です。
私のことも「この人だれ?」というまでになりました。
むかしの元気だった母親の面影はありません。
これが私の母の悲しい現実です。
☆☆☆
今朝、蛭子能収さんの連載を読みました。
そうしたら、こう思ったわけです。
私もいずれ認知症になるかもしれない。
覚悟しなきゃな、と。
人は自分が死ぬのをけっこう遠い未来だと思うものです。
きっと自分が死ぬ姿なんて想像したくないからです。
でも、人は必ず死にます。
必ずではないけど、もしかしたらそうなってしまうかもというものもあります。
たとえば、癌。
私は、まさか自分が血液の癌になるとは思っていませんでした。
一生、癌とは無縁だと思っていたほどです。
それと同じことが認知症にもいえるかもしれません。
私が認知症になる可能性だってあるのです。
だから、そうなる可能性を否定しないでおこうと思います。
仮に認知症になったとしても、蛭子さんのようにお仕事はできるかもしれません。
そうあまくはないと言われそうではありますが。
ともかく、認知症についての本を読んだり、動画を見たりすることにします。
そして、自分はそうならないという甘い考えを捨てることにします。
ということで・・・
今日は認知症に関することを書いてみました。
後半は仮定の話です。
でも、世の中そんなにあまくないですから、自分はそうならないという考えは持たないようにします。
それではまた明日!
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