暇すぎて変なことを考えてしまうので忙しくする(令和元年10月20日)

暇人みっちーです。

 

塾の先生時代は、いそがしくていそがしくて、それはもう死ぬ思いだった。

 

自分の能力以上の仕事を抱えていたために、パンク寸前。

 

さらに要領も悪く、自分の容量も少なくて、自分の能力不足を呪った。

 

いまの仕事の100倍くらいは忙しかったといっても言い過ぎではないほどだ。

 

それでも生きていられたのは、睡眠時間が毎日3~4時間くらいは確保できたからだろう。

 

それから休みの日はもう少し寝られた。

 

いつもよく多く寝て、休日出勤をするといった感じだ。

 

一ヶ月でとれる休日はだいたい4日くらいかな。週休2日なんてほぼとれない。

 

ひどいときは休みなんて取れない月もあったくらいだ。

 

あの頃は、本当に社畜としてがんばっていた。

 

その代わり、悩んでいる暇がなかった。

 

自分には部下もいたし、上司もいた。

 

部下を成長させる責任があったし、上司からの受けた指示や役職上の責務を果たす必要がある。

 

不器用な私は上からも下からもプレッシャーを受け、キリキリ舞いになる。

 

もちろん悩む。

 

しかし、悩んでも悩んでも、やる仕事が多すぎて、すぐに悩むひまがなくなる。

 

忙しすぎて、仕事から逃げ出すために、車の運転中どこかに突っ込もうかとも考えたことがあったが、たまっている仕事のことを考えるとどうしても放棄できなかった。

 

忙しいと死ぬこともできない。

 

まあ、すべてを投げ捨てる覚悟がなかっただけかもしれないが・・・。

 

とりあえず、死ぬ覚悟もなかったので、いまは生きている。

 

その結果、現在、あの頃に比べて1万倍以上の自由(精神的肉体的)を味わっているわけだ。

 

生きててよかった・・・!

 

で、振り返ってみると、あの頃よかったなぁと思うのは

 

悩む暇がなかった

 

ということだ。

 

暇があると余計なことばかり考えてしまう。

 

人間関係やら、将来のことやら、彼女がいなくてさびしいことやら、友達がいなくていつも一人だとか・・・

 

次から次へと、現状への問題点を自分の中に想起させ、そしてそれに対する解決策を見いだせないまま自己嫌悪に陥っていく。

 

暇だと病む。

 

だから、やっぱり自分を忙しくするのがいい。

 

余計なことを考える暇がないくらい忙しくするのがいい。

 

ただ、忙しいといっても、あの頃の忙しさを再現するのはだめだ。

 

あれは、自分のためにやっていた仕事ではなく、会社を儲けさせるための仕事だ。

 

もちろん個人のスキルも上がっていったのだろうが、所詮会社人間は、会社を儲けさせる駒にすぎない。

 

会社のために一生懸命仕事をしても、精神的に参るだけだ。

 

だから、自分のために時間を使って、自分を忙しくするのがいい。

 

本当は自分のやりたいことが仕事になれば一番いいんだけどね。

 

私にはそれがないから、趣味で忙しくする。

 

ドラマや映画を観たり、本を読んだり、ブログを書いたりする。

 

そうやって忙しくしていこうと思う。

 

最近、みっちーの映画日記を再開したので、少し忙しくなった。

 

年間に150本以上の映画を観るようになったので、観っぱなしではもったいないから、何か残しておこうと思って復活させてみた。

 

まあ、備忘録程度のブログなので、映画評論家のようなことや、本当に映画好きの人のようにはいかない。まだ映画ファンに毛が生えた程度の私なので、もし読んで不快になったらごめんなさい。

 

もうひとつ、自分を忙しくするために考えているのは、みっちーの文学日記の復活。

 

実は、このブログは1年くらい放置しているのだが、恥ずかしながら私が書いているブログの中で一番アクセス数が多い。

 

たった25個しかない記事で一番アクセス数を稼いでしまうのだ。

 

もしかして文学って需要あり?と思わせてしまうほど。

 

したがって、こちらも復活させる。そのためには、また文学作品を読まなければいけない。

 

趣味のブログが、これから忙しくなりそうだ。

 

でも、暇すぎるよりはいいだろう。

 

暇すぎて変なことを考えるよりは、趣味で楽しいことを考えていきたい!