どういう人間が子どもたちに教えるべきか

教育というものを考えた場合
どのように教えるか、何を使って教えるか

ということに目が行きがちです。

もちろんそれも大切です。
しかし、「どういう人間が子どもたちに教えるべきか」
ということも重要なことの一つです。

じつはこの言葉(「どういう人間が子どもたちに教えるべきか」)は
大前研一氏の『「知の衰退」からいかに脱出するか?』
に載っていました。

大前氏は

大げさに言えば、それこそ社会人全員が
学校教育に参加するくらいのドラスティックな
変化を学校にもたらすことである。
そのためには、一部の社会人を教員として
採用するのではなく、
できるかぎり多くの社会人に教育現場に
参加してもらうことだ

と述べています。

これは、お店でモノを売る人が
現状のお話をしたり、

警察官が、実際の仕事のことを
学校で話したりすることです。

全く社会と切り離されたものだけでなく
社会と結びついた教育をするべきだ
というのが大前氏の意見です。


これは今後の教育にとても大きな
示唆を与える意見だと思います。

なぜなら教育の現場と
実際の社会に大きな乖離が
起きているからです。

いま、塾で生徒に勉強を教えていると
勉強があまり好きでない生徒は

たいてい

「こんなことが大きくなってなんの役に立つの」
と質問してきます。

英語教育などは
実在する世界と、教室とで
全くかけ離れている例といえるでしょう。

だから教育の現場にいて
生徒の

「なんのために勉強するのかわからない」
という声には同情します。

なんのために勉強するか
たぶん今の教育の現場では
各生徒が答えを見い出せないからです。


では、大人は何をすべきか。

大前氏は

テレビを消して親子が会話する、という
基本的なところから始めなければ、
知の衰退は止まらない。

と述べています。

つまり、社会の最小単位である家庭で

会話すら成り立たない状況では
教育の進歩はないということです。


まずは家庭、そして次は近所などのコミュニティ。

子どもを子どもとしてではなく
社会の一員として、コミュニティの一員として
みんなで育んでいくという意識を持つ

ということが非常に重要なのだと思います。


ということは、今できることは何か。

それは挨拶、そして会話です。
挨拶の量、会話の量が
子どもが豊かに育つカギなのだと考えます。

私がまず自分の教え子に
教えるとしたら

あいさつをしっかりする
しっかりと話をする

ということから始めたいと思います。


どういう人間が子どもたちに教えるべきか
という問題は

実はそのコミュニティの存在する大人全員で
そこにいる子どもを育てる

というのが一番の模範解答のような
気がしています。


またこの問題については考えていきたいと思います。