東武東上線の某駅周辺でのできごと(令和2年2月10日)

どーも、ちょっとイラッとしたことがあったみっちーです。

 

本日は、東武東上線の某駅から徒歩数分のところにある映画館で映画鑑賞をした。

 

大迫力でけっこう満足度は高かった。

 

さて、今日は映画の話はおいておこう。映画そのものではなく、映画を観る前にあった些細なことの話をしたい。

 

私は、映画の上映開始となっている時間ギリギリに入るのはキライなので、けっこう早くから劇場に入る。

 

と言っても、たいていのところは10分前開場なので、それほど早くは入れない。しかたがないので、開場したらチケットを持って入り口に行くようにしている。

 

今日は映画館についたらもう開場していたので、さっさとチケットを発券して劇場内に入った。

 

席に到着し、座ってスタンバイ。すでに予告やコマーシャルがやっていた。

 

しばらくすると、私の前の列の斜め右側に学生らしき二人組が座った。そしてけっこうなボリュームの声で話を始めたのだ。

 

確かに映画本編は始まっていない。しかし、予告やらコマーシャルやらが大音量で耳に入ってくるなか、前の二人組の声まで聞こえてくる。

 

もっと静かな声で話せばいいのにと思っていた。

 

それから、私の座っている列からけっこう前にも学生らしき二人組がいて、こちらもずっと話をしていた。

 

劇場内の座席はそれほど混んでなくて、座っている人もまばらだった。それだけに話をしているのがとても目立つ。

 

どちらも学生っぽい。たぶん大学生だ。このへんの大学だったら◯◯大学かぁ・・・、などと想像した。

 

結局、その人たちは作品が始まる直前まで話し続けていた。全くまわりの迷惑など考えない態度だった。

 

わたしはそんな若者たちを見て、

 

こいつらかなりのアホだなぁ・・・

 

と思った。

 

最近、映画館でのマナーがよくネットのニュースで取り上げられる。上映中にスマホを当たり前のようにいじる人がいるそうだが、そういう人種は重症だ。

 

スマホのあかりが、周囲の人たちにどれだけ邪魔になっているかがわかったいないのだ。そういう想像力が欠如している人は、社会で生きていってはいけないと思う。

 

人間の人間たるゆえんは社会性があることだ。まわりの人に気を使ったり、感謝したり、お詫びをしたり、思いやりを持って接したりすることができるから人間なのだ。

 

まわりの人のことが考えられない人は社会では生きていてはいけない。一人でいるべきなのだ。私はそう思う。

 

今日、映画館にいた、上映開始直前まで話をしていた人はそこまではひどくない。ただもう少しまわりの人のことを考えて、小声で話すとかしてくれればよかったと思う。

 

本日は映画館でそんなことを思ったのだった。

 

そして、映画館をあとにし、駅に向かった。駅のそばまでくると踏切がなって遮断器が降りてきた。しかし踏切周辺で微妙に自動車が動いていた。

 

見ると、遮断器が降りているのに自動車が横断していたのだ。「マジか・・・」と思っていたら、その後ろに自転車までついてきていた。けっこう遮断器が降りて時間が経ってたよ・・・。

 

そこで思い出した。東武東上線は都内に入ると、よく電車が止まる。もう電車が止まるのは日常茶飯事だ。

 

その原因は踏切の直前横断によるものだ。

 

このとき目の当たりにした踏切の直前横断、こんなことのせいでけっこうな頻度で電車が止まる。

 

めっちゃ迷惑なことだ。しかし、そういう人はまわりのことなど考えられないのだ。

 

映画館でのできごと、そして駅前の踏切でのできごと、どちらも自分勝手な人のやったことだ。

 

人は自分のことばかり考えがちだ。こんなことをエラそうに書いている私だって大勢の人に迷惑をかけて生きている。

 

誰かが誰かに迷惑をかけて生きていくのが社会なのだろうとは思う。

 

しかし、ちょっとした思いやりや気配り、まわりへの配慮ができる人になるべきだ。

 

今日あった出来事を教訓として、まわりをしっかり見て生きていける人になろうと思う。