嫌なことや嫌なやつは自分の成長のための試練である。(令和2年2月7日)

どーも、気持ちの切り替えが下手なみっちーです。

 

昨日、こんなツイートをしてみた。

 

私は気持ちの切り替えがとても下手だ。ちょっと心に何かがひっかかると、ずっとそのことが頭の中でループしてしまう。

 

特に悪いことが起きるとそれが顕著となる。誰かに嫌味を言われたときや、嫌なことをされたりすると、それが頭から抜けなくなり終始不機嫌なままだ。

 

いやなことがしばらく忘れられない性格なのである。なんかこういうのはジメジメしてていやだよね。なおしたいと思ってはいるがなかなかなおらない。

 

とにかく、それがいまの私の課題。

 

でも、今日、ちょっとちがうことが思い浮かんだ。

 

嫌なことを試練だと考える。これだ。

 

この感覚をずっと忘れていた。

 

人間って、逆境があるから成長するものだ。甘やかされて育てられた子どもは社会では通用しない。甘やかされて入社した新入社員はいつまでたっても仕事ができない。

 

逆境がないからだ。

 

悪いことは悪いと叱られ指導されてこそ人は成長する。もちろん褒められてこそ人間は成長するものである。しかし、褒めてばかりじゃダメなわけだ。

 

長い冬があるからあたたかい春はありがたい。冬があるからきれいな桜が咲く。

 

いいことの裏にはつねに悪いことがあるものだ。

 

だから、自分にとって悪いことは、あとあと自分の生長の糧になる。

 

私にとって嫌なことや嫌な人は、みんな私の肥料になる。私が健やかに成長するための肥やしになるわけだ。

 

こういった考えは、昔はよくしていた。

 

昔は社長や上司が厳しく、仕事はたいへんで、業績がなかなか伸びなかった。

 

何度も昇格と降格を繰り返し、人一倍辛酸をなめてきた。

 

でも、それを試練だと考えてずっとやってきた。

 

ところが、いまの仕事はそんなに大変ではなく、ある程度思い通りにことが運び、そして私を指導する人などほとんどいない。

 

だから忘れてしまっていたのだ。

 

日々の生活は人生の修行だ。嫌なことは必ずあるし、嫌な人間も必ずいる。そういう諸々のものをすべて試練だと考えることはとても大切だ。

 

嫌なことがあって、頭の切り替えがうまくいかないとき、うじうじ考えていてもしょうがない。

 

すべてを試練だと思って乗り越えていこう!