文学作品の鑑賞は人生に必要だろうか(令和元年8月17日)

文学部出身のみっちーです。先行は日本文学でした!

 

ところで、2019年8月17日の「天声人語」に気になることが書いてあった。

文芸誌の「すばる」と「文学界」が、立て続けに国語教育の特集をしている。高校の国語でこれから、文学が選択科目になるためだ。若い人が文学に触れる機会が失われていくのでは、との懸念が伝わってくる

 

「え!?」というのが正直な感想。

 

実は文学が選択科目になるということを全然知らなかった。

 

高校の国語といえば「現代文」と「古典」で、そのなかには自ずと文学作品を含んでいる。

 

それが私の頃の国語という科目だ。

 

ところが、その国語の中から文学作品を抜き出して選択科目にするというのだ。

 

私の感覚ではありえない。

 

でも時代がそうなったということか。

 

たしかに、私が塾で国語を教えていた頃、小学生のみならず中学生まで、日本語の文章の理解力が極端に低い子が多かった。

 

文学作品を鑑賞するというレベルではない。まずは日本語を理解しようよ、というレベル。

 

塾でさえそうなのだから、さまざまな学力の子が混ざっている学校ではなおさらだろう。

 

もはや「文学」が選択科目になるのはやむなしってとこか・・・。

 

でも、それはいいことではない。

 

「文学」を勉強するのは「人生の意味」を問うことに似ている。

 

「人生の意味」を問うことは無駄なことかもしれない。

 

しかし充実した人生を送るためには、時には自分の人生とは何なのか問う必要がある。

 

「文学」など生きていくのに必要ないかもしれない。でも時には文学作品に触れ、そこでわき起こる感情や思いを考えることは必要なことだと思う。

 

学校が「文学」をあきらめたのはとても残念だ。

 

「文学好き」あるいは「文学を必要と思う者」が率先して「文学作品」の必要性を考えて世の中に訴えて行くべきだろう。

 

私も今後、このブログで文学について触れていこうと考えている。

 

このブログを読んだ方はぜひ、文学作品の鑑賞についての必要性を考えてほしいところだ。