「ごはん粒のなかの石を噛みあてたような、小さな不快」
茶碗に入ったご飯を食べていたら、いきなりガリッとしたとします。おそらくその時に出てくるセリフは「なんだ、こりゃ」。
きっと不快になっているでしょう。すぐさま口の中に手をつっこんで、その「ガリッ」の原因を引っ張り出します。
「ごはん粒の中の石を噛みあてたような、小さな不快」を感じる時は日常でたくさんあると思いますが、なかなかうまい表現ですね。
さて、こんなうまい表現をするのは作家、向田邦子です。『霊長類ヒト科動物図鑑』というエッセイ集の最初の作品にこの表現が出てきました。
向田邦子のエッセイはなかなかおもしろくて、特にお父さんのエピソードは心温まるものがまります。
ところで、生活していると1日に何回か不快な場面に遭遇します。
私の場合は、道を塞がれるのが嫌いです。
例えば、私は、毎朝電車通勤をしているので自動改札を通っています。その時にスイカとかパスモの残高を見るために立ち止まる人がたまにいます。
いくらカードに残ってるかをわざわざ改札通る時に確かめなくてもいいのにね。
後から来る人のことを考えずに、改札で立ち止まるんですよ。実に不愉快です。そんな人に出会うとたちまち不快になります。
あとは同じく電車関係でいえば、歩きスマホ。
これは最悪。
ホームがけっこう混雑していて、急いで改札に行きたいのに、のんびり歩いている人がいます。よく見ると歩きながらスマホでゲームをやっていたりするんです。
「お前、歩きながらスマホのゲームするなよ!」って本気で怒鳴りたくなるほどイライラします。
だいたい不器用なヤツに限って歩きスマホするんですよね。ホント迷惑。やめてほしいです。
さらに言うと、まっすぐ歩かないで斜めにあるく人。「なんでまっすぐ歩かないんだよ」って言ってやりたくなります。そうやって人の道を塞ぐのです。
電車のホームから改札までの道のりだけでもこんな不快な思いをしているわけです。何回、ご飯粒の中の石を噛み当てたらいいのやら・・・。
それにしても、1日のうちに不快な思いを何回かするわけですが、そんな思いとうまくつきあっていくにはどうしたらいいんでしょうね?
そのためには、自分で気持ちを切り替えるしかありません。
そして、自分で気持ちを切り替えるのを習慣にするのが1番なんですよね。
嫌なことがあるたびに不快な思いを引きずっていく人生は、まるで運命に翻弄される人生のようです。
そうではなくて、運命に立ち向かっていかなくては!
嫌なことがあってもすぐに気持ちの切り替えができる人は、運命に翻弄されることなく、自分の思う通りに生きていけるはずです。
自分の気持ちがどっしりしているから、少々嫌なことがあっても平気です。
そんな生き方をしてみたいですね!
だから、「ごはん粒のなかの石を噛みあてたような、小さな不快」に当たったとしても、気持ちをすぐに切り替えていこうと思います。