2016-02-26 ヘルマン・ヘッセ『シッダールタ』より、「知識は伝えられるが知恵は伝えられない」(№226)

初めてヘルマン・ヘッセの本を読みました。いや、正確には2作品目かな。

 

ひとつめは教科書に載っていた「少年の日の思い出」です。これは教科書の文章だから読書とはいえないですね。

 

実質初めてのヘルマン・ヘッセは『シッダールタ』です。タイトルからいってお釈迦さまが主人公なのかなぁと思ったら全然ちがいました。

シッダルタ (岩波文庫)

シッダルタ (岩波文庫)


 

主人公シッダールタは幼い頃から優秀でした。自分独自で悟りを開くために、親友ゴーヴィンダとともに沙門という修行者になります。

 

しかし、すぐにそこでは学ぶことがなくなります。それくらいシッダールタは優秀なのです。

 

その次に2人はゴータマ(仏陀)と出会います。

 

ゴータマの教えを聞き、そのまま弟子になるのかなぁと思いきや、ゴータマに別れを告げ独自の道を行くことにします。ゴーヴィンダはそのままゴータマの弟子になりました。

 

そして話はまだまだ続くのですが、紆余曲折の末、シッダールタは独自の悟りを開くことができました。

 

さて、最後に、悟りを開いたシッダールタはゴーヴィンダと出会います。そしてさまざまな話をするのです。この物語の核心の部分です。

 

実はこの話はとても深すぎて、1回読んだだけで説明するのは困難ですし、はっきりと内容を理解するのは容易ではありません。でも、ひとつ印象に残ったシッダールタのセリフがありました。

 

知識なら伝えることもできるが、知恵は伝えられないのだ

 

シッダールタはそうゴーヴィンダに言ったのでした。

 

これは、仏教にかぎらず今の日常でもそのとおりだと思います。知識は、人からあるいは本やインターネットから受け取ることができます。

 

私も最近本をたくさん読むようにしているのですが、そこからはさまざまな知識を受け取ることができます。読書からさまざまな恩恵を受けることができています。

 

しかし、それだけではもちろん知恵はつきません。知恵は自分で経験することによって身につくものです。


シッダールタはゴーヴィンダと別れたあと、カマーラという女性からいろいろ学び、また商人のもとで働いてはそこからさまざまなことを学びました。そしてそこでいろいろな経験を蓄えていきました。


最後には川の渡し守、そして川そのものから学び、それを自分のものとしていきます。

 

そうして自分の中で知恵が芽生えていったのです。なぜシッダールダがゴータマの弟子にならなかったのか、なんとなくわかりますね。


経験こそが知恵を得る源なのです。

 

義務教育を終えて学校を卒業しただけの者が社会では全く役に立たないのは、知恵が全くないからです。知識だけで生きていくには不いかに十分なのかがわかります。

 

本来はたくさんの経験をして自分で知恵を身につけていくものなのです。世の中、何でも教えてもらえると思っている人が多いですからね。

 

私が塾に勤めていた頃は生徒がすぐに「答え教えて!」とか「やり方教えて!」と言ってきたものです。すぐに答えがわかるもので後から役に立つものは少ないです。

 

親御さんもそうでした。「うちの子、全然勉強しないんですけどどうしたらいいんでしょうか?」って質問ばかりでした。はっきり言って、そんなのに答えなんてあるわけないじゃん。

 

ひどいのは「先生がちゃんと言ってくれないからうちの子が勉強しないんです」って言う親御さん。これは少数ではなく何人もいました。そう言ってくる親御さんってきっと何も考えてないんでしょうね。そういう方たちには知恵がないのでしょう。

 

知恵は伝えられません。自分で培うものなのです。

 

シッダールタのことば、とても偉大だなぁと思いました。知識は知識としてしっかりと取り入れていきますが、それだけでなく自分の中でしっかりと知恵を培っていこうと思いました。


いい本に出会えてよかったです。