「何のために生きる」に対しての寅さんのこたえ(令和2年1月10日)

どーも、人生の意味を追求しているみっちーです。

 

・・・っていったら大げさだね。

 

でも、何のために生きるのか、答えを得るのは本当に難しい。

 

はっきり言って「何のために生きるのか」の正解はないからね。

 

これは個人的な意見だが、人生にはもともと意味はないと思っている。生きている目的だってないし、存在理由も存在しない。

 

ただし「ない」と言うのは、もともと「ない」ということで、そういうのは正解が用意うされているわけでないということ。

 

だから、人それぞれで、「何のために生きるのか」とか「人生の意味」とか「存在理由」とかを考えればよい。

 

もともとないのだから、「何のために生きているんだろう」と悩んだって誰も正解は用意してくれない。そういうのは自分で考えてつくればいいのだ。

 

私はそう思っている。

 

たとえば私は、何のために生きているのかと聞かれれば、「楽しむため」とこたえるだろうし、「人生の意味」はと聞かれれば「意味はない、ただ楽しむ」とこたえる。

 

「あなたの存在理由は?」と聞かれれば、「生まれちゃったから生きている」とこたえるだろう。

 

そんなもんだ。哲学的に深く考える必要もないし、もし必要になったらその都度考えていけばいいんだろうなぁと思う。

 

ところで、先日の日経新聞の「春秋」というコラムに「男はつらいよ」について書いてあった。そこに、寅さんのセリフが載せられていた。

新作で、おいに人は何のために生きるの、と問われるシーンがある。「生まれてきてよかった。そう思うことが何べんかあるだろ。そのために生きてんじゃねえか」。
日本経済新聞1月3日朝刊、春秋より)

 

何のために生きるのか

 

寅さんの答えは、

 

生まれてきてよかった。そう思うことが何べんかあるだろ。そのために生きてんじゃねえか

 

ということだ。

 

今まで生まれてきてよかったと思うことが何度あったかな?

 

おそらく、大小さまざまあるだろう。

 

小さな幸せや大きな幸せは、生きていると何度か味わう。

 

美味しいものを食べたとき

 

おもしろい映画を観たとき

 

彼女ができたとき

 

友だちと楽しく過ごせたとき

 

努力して優勝したとき

 

成功したとき

 

上司に褒められたとき

 

合格したとき

 

その他たくさん・・・

 

数え上げるとキリがないが、多分、こんな思いを味わった時に、生まれてきてよかったと思ったこともあったような気がする。

 

そのために人は生きている、寅さんはそう言う。

 

本当のこたえはわからない。

 

でも、寅さんが導き出した答えは、確かに生きる理由としては上質な気がする。

 

人は、「ああ、幸せだなぁ」と感じるために生きているとしたら、生きている理由もはっきりしている。

 

とすると、やっぱりふだんから幸せを探して生きてきたら、生きているって感じがもっと強くなりそうだ。

 

私もアラフィフになり、長く生きてきたことを実感するようになってきた。これだけ長く生きていると、毎日を惰性で生きているようになってくる。

 

マンネリの日々、変化のない日々、そんな毎日を過ごしていると幸せなんて見つけられない。

 

やはり、変化のある毎日をすごすように心がけるべきだろう。そして、その変化の中に幸せを求めていきたい。

 

毎日、小さな幸せから大きな幸せまで、なんでもいいから探していくと、そのために生きているということが実感できてくると思う。

 

幸いにして、私は趣味が多いほうだ。その分、人より幸せを味わう機会が多いと思う。

 

毎日、うまれてきてよかったと思う気持ちを味わって生きていきたいものだ。