元フジテレビのアナウンサーで現在フリーの近藤サトさんが、日経新聞「読書日記」のコーナーで高村光太郎「緑色の太陽」から下記の引用を載せていた。
僕が青いと思ってるものを人が赤だと見れば、その人が赤だと思うことを基本として、その人がそれを赤として如何(いか)に取扱っているかをSCHAETZEN(評価)したいのである
そして、このあと近藤サトはこう述べた。
私が幼いとき誰もそんなことは言わず、太陽は赤と刷り込まれ、芸術の核心から遠ざけられた。
太陽は赤。誰も緑色の太陽なんて描かない。それが当たり前だからだ。
しかし、見え方というのは人によってちがうだろうし、心の中の風景だって異なるはずだ。
太陽が赤というのは、これは刷り込みだ。一般的に赤い太陽であることが常識なのだ。
そして、緑色の太陽を描けば常識を疑われるにちがいない。
近藤サトさんは、このことを「芸術の核心から遠ざけられた」と言っている。
さて、芸術音痴なわたしには難しいことはわからない。
でも常識と思われているものには、見直されるべきものがあるはずだと考えている。
もっとストレートにいうと、常識を疑えってこと。
ひと昔前は、定年まで同じ会社で働くことが常識だったし、男は外で働き女は家を守るのが常識だった。
しかし、今そんなことをいえば「古い人間だ」と言われそうだ。
ただ、まだまだそんな常識はありそうだ。
これからの時代、常識に縛られていてはいけない。
もっと自分の感性を大切にして、自由に生きていかなければいけないと思うのだ。