現代国文法はけっこう好きな人みっちーです。
先日、こんなツイートがタイムラインに流れてきた。
【ラ抜き言葉撲滅】
— 花子☘️ (@sdu2pck2) 2019年7月30日
着れる
見れる
食べれる←全てラ抜き言葉
来れる
助動詞「れる・られる」は
其々、付く動詞が決まって
ます。
「られる」が付くのは、上
一段、下一段、カ変の動詞
着る 見る←上一段
食べる←下一段
来る←カ変
全て「られる」が付きます。
ラ抜き撲滅
いわゆる、ら抜き言葉についてのツイートだ。この方はら抜き言葉に反対らしい。
ら抜き言葉とは、本来「ら」を入れるべきところを入れないことを言う。
今日は朝ごはんが食べれない。
子どもじゃないから1人で着れるでしょ。
これがら抜き言葉。
ら抜き言葉がいいか、わるいかというのはなんとも言えない。
正しい日本語を守らなければならないのは当然だが、言葉は時代とともに変化していくものである。
結局は、多くの人が、ら抜き言葉を使うようになったらOKということになるだろう。
つまり、いま「ら抜き言葉反対」を唱えている人がこの世からいなくなれば自然にら抜き言葉はよしとされる。
それは伝統を守るか否か、自然を守るか破壊するかに似ている。
なかなか難しい問題だ。
「じゃあ、お前はどう思っている?」と問われたら、私は「ら抜き言葉」は公の場で使うべきではないという立場。
まあ、ら抜き言葉反対だね。
言葉の乱れを放置していたら、みんながきたない言葉を話し出すから。
それに、人は言葉を使って思考をおこなう。言葉を軽く扱ってしまえば、きっと思考が貧弱になるにちがいない。
ら抜き言葉に限らず、言葉というものをもう少し大切に扱わなければいけないというのが、私の考えである。