2017-07-08 10年前にタイムスリップしたようだった

丸山薫の詩に「学校遠望」というのがあります。

  

学校を卒(お)へて歩いてきた十幾年

首(こうべ)を回(めぐ)らせば学校は思ひ出のはるかに

小さくメダルの浮彫のやうにかがやいてゐる

そこに教室の棟々が瓦をつらねてゐる

ポプラは風に裏反(うらがえ)って揺れてゐる

先生はなにごとかを話してをられ

若い顔達がいちやうにそれに聴き入ってゐる

とある窓辺で誰かが他所見(よそみ)して

あのときの僕のやうに呆然(ぼんやり)こちらを眺めてゐる

彼の瞳に 僕のゐる所は映らないのだらうか

ああ 僕からはこんなにはっきり見えるのに

 

学校を卒業して十数年、学校は思い出のはるか

そしてその思い出は、

小さくメダルの浮き彫りのように輝いている

 

それが、この詩の冒頭部分です。

 

さて、私が10年前に教えた生徒たちは、あの頃の塾での生活を振り返ってみて、

 

はたして、あの頃の思い出が「小さくメダルの浮き彫りのように」輝いているだろうか?

 

教え子たちが、昔を振り返ってみて、少しでも輝いた思い出を持っていてくれたら、救われた気分になります。

 

 

ちょっと昔を回想しよう。

 

そこは、埼玉県の某所。

教室は二十数名の生徒が入れるくらいの大きさ。

その授業には約10名の生徒。

 

一生懸命、授業の予習をしてきたが、なかなか納得のいく説明ができない国語教師。

 

生徒が理解してくれないというより、しっかりとした説明ができなくて、そこにふがいなさを感じている。

 

そして、生徒に気づかれないように、ため息。

 

自分で満足できる授業がなかなかできません。

 

そして、

「俺は10年後もこんな授業をしているのか」

と未来の自分を想像するわけです。

 

10年後、お前は先生じゃないよって教えてあげたらどういう顔するのかな?

 

 

さて、1年のうち、自分が納得できる授業なんてわずかでした。

生徒には申し訳ないと思っています。

 

自分なりに、いろいろ研究し、知り合いに頼んで現役予備校講師の授業見学もさせてもらっていました。

 

でも、なかなか授業って難しいものです。

いつも壁にぶち当たっていました。

 

そんな10年前。

 

 

そして、その10年前の教え子と飲んだのが3ヶ月前でした。

 

motoshidaa.hatenadiary.jp

 

今回は2回目のご招待をいただき、またまた参加することができました。

 

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前回同様、今回も楽しくて、あっという間に時間がたってしまいました。食べ物もおいしかったし。

 

このままみんなで教室に行って、授業・・・いや、飲み会したかった。

 

ホント、そんな感じ。

 

あの頃、みんなが生徒だった頃には言えなかったようなことも、たくさん話しました。

 

裏話とかね。

 

今回、一緒に飲んでみて思ったことといえば、

 

びっくりするくらい、みんないいやつだったってこと。

 

中学校の頃からいいやつらだったんだろうな。

 

もちろん、中学生の頃、みんないい子でしたが、まだよく見ていない部分もあったかもしれない。

 

考えてみれば、受験前にあんな過酷な勉強をさせて、みんなで乗り越えてきたわけで、いい子でないわけがなかった。

 

塾教師だった頃は、生徒のことは宝物だと思っていましたが、今はなんかちがうな。

 

宝物というよりは、もっと大切な何か、ちょっとうまく表現できないけど・・・

 

とにかく、こうやってまた会えるというのは、とても幸せなことです。恵まれてるなぁ。

 

こうやって、いつまでも楽しくワイワイできるメンバーであり続けることができたらいいなぁ!