もうすぐ夏だなぁと思い、ふと「私のブログで夏について何をかいているのかなぁ」なんて考え、検索してみました。
そうしたら、このブログが目に止まりました。
人はさみしさでできているのだと思う 立原道造「夏の弔い」読後(№95) - もーとしだぁ.com ~40代みっちーの楽しい人生~
私のもう一つのブログで、現在休止中の「もーとしだぁ.com」ですが、こんなこと書いていたんですね。
立原道造の「夏の弔い」という詩について書いてあります。ちなみに私の大好きな詩人。
読んでみたら、夏とはあまり関係なかったす。ただ「さみしい」という感情についてもう一度考えてしまいました。
私はもともと
人間の心の根っこにはさみしさがある
と思っています。
言葉にすると「さみしい」で、この言葉はちょっと詩的な言葉なので、本当はちがうかもしれません。
正確にはどう言っていいかわかりませんが、ともかく、人は
孤独を恐れ
すぐ群れたがり
誰かと話したがり
つながりたがる
そういう生き物です。
大多数の人は1人では生きられません。
人間はさみしさを感じる生き物なのです。
そして、そのさみしい感情をきれいに表現しているのが、立原道造なのです。
私もきっと寂しがり屋さんなので、こうやってブログを書いて、読んでくれる人とつながりたがってるんでしょうね。
うーん、書いていたらすごくさみしくなってきた・・・
あ、立原道造の詩を、こちらにも引用しておくので、ぜひ読んでみてください。
「夏の弔い」という詩です。
逝いた私の時たちが
私の心を金にした 傷つかぬやう傷は早く愎るやうにと
昨日と明日との間には
ふかい紺靑の溝がひかれて過ぎてゐる
投げて捨てたのは
涙のしみの目立つ小さい紙のきれはしだつた
泡立つ白い波のなかに 或る夕べ
何もがすべて消えてしまつた! 筋書どほりに
それから 私は旅人になり いくつも過ぎた
月の光にてらされた岬々の村々を
暑い 涸いた野を
おぼえてゐたら! 私はもう一度かへりたい
どこか? あの場所へ (あの記憶がある
私が待ち それを しづかに諦めた――)
では、今日はこのへんで!
さみしい方は、私のTwitterでもフォローしてみてください。お待ちしてます(^^)
I am みっちー@40代・癒し系 (@motoshidaa) on Twitter