2017-06-04 人はさみしい生き物なのね

もうすぐ夏だなぁと思い、ふと「私のブログで夏について何をかいているのかなぁ」なんて考え、検索してみました。

 

そうしたら、このブログが目に止まりました。

人はさみしさでできているのだと思う 立原道造「夏の弔い」読後(№95) - もーとしだぁ.com ~40代みっちーの楽しい人生~

 

私のもう一つのブログで、現在休止中の「もーとしだぁ.com」ですが、こんなこと書いていたんですね。

 

立原道造の「夏の弔い」という詩について書いてあります。ちなみに私の大好きな詩人。

 

読んでみたら、夏とはあまり関係なかったす。ただ「さみしい」という感情についてもう一度考えてしまいました。

 

私はもともと

 

人間の心の根っこにはさみしさがある

 

と思っています。

 

言葉にすると「さみしい」で、この言葉はちょっと詩的な言葉なので、本当はちがうかもしれません。

 

正確にはどう言っていいかわかりませんが、ともかく、人は

 

孤独を恐れ

すぐ群れたがり

誰かと話したがり

つながりたがる

 

そういう生き物です。

大多数の人は1人では生きられません。

 

人間はさみしさを感じる生き物なのです。

 

そして、そのさみしい感情をきれいに表現しているのが、立原道造なのです。

 

私もきっと寂しがり屋さんなので、こうやってブログを書いて、読んでくれる人とつながりたがってるんでしょうね。

 

うーん、書いていたらすごくさみしくなってきた・・・

 

あ、立原道造の詩を、こちらにも引用しておくので、ぜひ読んでみてください。

 

「夏の弔い」という詩です。

逝いた私の時たちが
私の心を金にした 傷つかぬやう傷は早く愎るやうにと
昨日と明日との間には
ふかい紺靑の溝がひかれて過ぎてゐる
 
投げて捨てたのは
涙のしみの目立つ小さい紙のきれはしだつた
泡立つ白い波のなかに 或る夕べ
何もがすべて消えてしまつた! 筋書どほりに
 
それから 私は旅人になり いくつも過ぎた
月の光にてらされた岬々の村々を
暑い 涸いた野を
 
おぼえてゐたら! 私はもう一度かへりたい
どこか? あの場所へ  (あの記憶がある
私が待ち それを しづかに諦めた――)

 

では、今日はこのへんで!

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