2017-05-14 母の日だったので、むかしの母のことを思い出した

5月14日は母の日でした。

 

今の母は、めっきり老けてしまい、ちょこんと座った姿がおき物みたい。

 

ただ、突然キレることがあり、そんなときは昔の姿が垣間見えたりもします。

 

私が実家に帰ると、私の父や妹とケンカが絶えません。

 

父と妹がケンカするということは滅多になく、いつでもケンカの中心には母がいるのです。

 

 

そんな母には、私もよく怒鳴られていました。

 

そもそも、私は勉強嫌いで、面倒くさがりで、おまけに反抗期で、親から見たら最低の子どもでした。

 

唯一よかったことといえば、グレて不良にならなかったことかな。

 

子どもの頃は、父も母も恐ろしい存在で、不良にでもなったら殺さられるかもしれないと本能的に感じとっていたのでしょう。

 

事実、私は父に叱られバットで殴られたこともあるし、母からはホウキで叩かれたこともあります。

 

悪いことをしたら、押し入れや物置小屋に閉じ込められたことが何度も。

そういえば、母親からは包丁を突きつけられたこともありました。

 

私にとって親はヤバイ存在だったのです。

 

 

実は、大人になっても、そういうイヤな記憶ばかりがずっと残っていて、何十年も家族のことがイヤでした。

 

ところが、冒頭に書いたとおり、母親もめっきり老けてしまったこともあり、なんとなく、親に対する恐怖や嫌なところが薄まってきたのです。

 

それとともに、自分がいかに親孝行をしてこなかったも反省。

 

兄弟で一人だけ大学に進学させてもらい、生活費を仕送りしてもらい、おまけに大学院の学費まで出してもらったのに、いまなお、親にも何も返せていません。

 

結婚もせず、実家を離れてブラブラしているだけ。

 

さすがに、親にお金をせびるということはありませんが・・・。

 

なんとも親不孝な話です。

 

ここ最近でやっていることといえば、夏と冬に実家に帰ることぐらい。

 

 

今振り返ると、ただ怒鳴られてリ、叩かれたりしてただけじゃありませんでした。

 

小学校で、父母の授業参観日、母は私と目が会うと必ず

「としちゃん!」

と呼び、微笑みながら手を振ってきます。

 

「としちゃん」とは、もちろん私のことで、今でも母は私をそう呼びます。

 

小学生の頃に、みんなの前で「としちゃん」と呼ばれることはけっこう恥ずかしいんですよね。

 

このあと、みんなに「としちゃん、としちゃん」とバカにされたことは言うまでもありません。

 

笑顔で「としちゃん」と呼ばれることが、あの頃はとてもいやだったのですが、今考えると、母親の愛情だったんだなぁと思います。

 

 

また、私は好き嫌いの激しい子どもでした。

 

子どもの頃は、魚がキライで、夕食で魚が出ると、全く手をつけませんでした。

 

母に「なんで食べないの?」と聞かれると

私は「骨があるから」と答えました。

(わがままな子どもだ・・・笑)

 

そうしたら、母は骨をとってくれました。

そのときの私は、それが当然のようなことのように思っていました。

 

ちなみに、妹はそれが気に入らなかったらしく、私のことを「マザコンとし」とバカにしていました。

 

そうしたら、そのうち、夕食のおかずが魚の日は、私だけおかずが別メニューに変わるようになりました。

 

いま考えると、すごく特別扱いで、とても甘やかされていたことに気づきます。

 

実は、母は私にすごくやさしくしてくれていたのでした。

 

 

若い頃、私は母に厳しくされていたことばかりおぼえていて、全然母親にしてもらったことを思い出さずました。

 

ところが、振り返ってみると、こんなにやさしくしてもらっていたのです。

 

母のことを憎んでばかりいた自分が、すごく情けない。

母親は大切にするべき存在ですね。

 

母の日になって、あらためて反省しました。

 

母も80歳をすぎました。

 

日本人女性の平均寿命が87歳くらいとのことなので、まだまだ長生きしてもらえそうなので、これから親孝行していきたいと思います。