2016-05-22 「私は、友だちがいなくては、耐えられないのです。しかし・・・」(№312)

友だちってなんなのだろう?

 

私のFacebookの友だちは123人。でもその人たちがみんな友だちってわけではない。

 

私のTwitterのフォロワーさんは1944人。でも、知らない人がほとんど。

 

私のInstagramのフォロワーさんは23人。あまり写真をアップしていないからなぁ。

 

私のはてなブログの読者登録者数23人。これは少ない。もっと登録してくれ!でも、ブログの読者さんは友だちではないんですよねぇ・・・

 

さて、友だちってなんだろう?

 

よくわからないね。私のことを友だちだと思う人は、私に「友だちです!」と言ってほしい。


そうじゃないと、自分には友だちがいないような気がしてくる。

 

 

まあ、深いこと考えるのはやめにしよう。


突然ですが、昨日好評だった八木重吉の詩をひとつ。「息を  殺せ」というタイトルです。

 

息を ころせ

いきを ころせ

あかんぼが 空を みる

ああ 空を みる

 

この詩の中の赤ちゃんは空を見つめています。

 

どんな気持ちで見つめているんでしょうか。


赤ちゃんのあの黒い瞳の先にある青い空。

 

気になるところです。

 

それから、その赤ちゃんの様子をそっと見守る人がいます。


きっとお父さんとお母さんが、じっと息を殺してあかちゃんを見守っているんですね。

 

そんな情景でしょうか。


想像するだけで、なんだか癒されます。

 

 

ところで、この作品は『秋の瞳』という詩集に収められています。1925年の作品で、八木重吉にとっては第一詩集となります。

 

その最初の詩がこの「息を殺せ」です。

 

そして、この詩集の「序」には次のようなことが書かれています。

私は、友が無くては、耐へられぬのです。しかし、私には、ありません。この貧しい詩を、これを、読んでくださる方の胸へ捧げます。そして、私を、あなたの友にしてください。

 

「八木くん、そう来たか」って感じですね。

 

でも、言いたいことをこんなにストレートにわかりやすく書いてくれる八木くんならば、すぐにお友だちになれそうです。

 

例えば明治時代の作家、北村透谷はどうでしょうか?詩をひとつ紹介します。

曽つて誤つて法を破り
  政治の罪人として捕はれたり、
余と生死を誓ひし壮士等の
  数多あるうちに余は其首領なり、
  中に、余が最愛の
  まだ蕾の花なる少女も、
  国の為とて諸共に
  この花婿も花嫁も。

(「楚囚之詩」より一部抜粋)

 

うーん、八木重吉の詩よりはるかに読みにくいですよね。もちろんこれはこれで味わいがあると思います。

 

でもお友だちにするなら八木くんのほうがいいかな(^^)


話は大きくそれましたが、結局は友だちって何か結論なんてありません。


そんなことにわざわざ定義づけする必要などありませんよね!


その時ともだちだと思ったらみんなともだち!

 


最後に、『秋の瞳』の序をパクって締めたいと思います。

 

私は、友だちがいなくては、耐えられないのです。しかし、私には友だちとはなんなのかわかりません。この私の貧しいブログを、これを読んでくださる方々の胸へ捧げます。そして、私をあなたの友にしてください。