友だちってなんなのだろう?
私のFacebookの友だちは123人。でもその人たちがみんな友だちってわけではない。
私のTwitterのフォロワーさんは1944人。でも、知らない人がほとんど。
私のInstagramのフォロワーさんは23人。あまり写真をアップしていないからなぁ。
私のはてなブログの読者登録者数23人。これは少ない。もっと登録してくれ!でも、ブログの読者さんは友だちではないんですよねぇ・・・
さて、友だちってなんだろう?
よくわからないね。私のことを友だちだと思う人は、私に「友だちです!」と言ってほしい。
そうじゃないと、自分には友だちがいないような気がしてくる。
まあ、深いこと考えるのはやめにしよう。
突然ですが、昨日好評だった八木重吉の詩をひとつ。「息を 殺せ」というタイトルです。
息を ころせ
いきを ころせ
あかんぼが 空を みる
ああ 空を みる
この詩の中の赤ちゃんは空を見つめています。
どんな気持ちで見つめているんでしょうか。
赤ちゃんのあの黒い瞳の先にある青い空。
気になるところです。
それから、その赤ちゃんの様子をそっと見守る人がいます。
きっとお父さんとお母さんが、じっと息を殺してあかちゃんを見守っているんですね。
そんな情景でしょうか。
想像するだけで、なんだか癒されます。
ところで、この作品は『秋の瞳』という詩集に収められています。1925年の作品で、八木重吉にとっては第一詩集となります。
その最初の詩がこの「息を殺せ」です。
そして、この詩集の「序」には次のようなことが書かれています。
私は、友が無くては、耐へられぬのです。しかし、私には、ありません。この貧しい詩を、これを、読んでくださる方の胸へ捧げます。そして、私を、あなたの友にしてください。
「八木くん、そう来たか」って感じですね。
でも、言いたいことをこんなにストレートにわかりやすく書いてくれる八木くんならば、すぐにお友だちになれそうです。
例えば明治時代の作家、北村透谷はどうでしょうか?詩をひとつ紹介します。
曽つて誤つて法を破り
政治の罪人として捕はれたり、
余と生死を誓ひし壮士等の
数多あるうちに余は其首領なり、
中に、余が最愛の
まだ蕾の花なる少女も、
国の為とて諸共に
この花婿も花嫁も。(「楚囚之詩」より一部抜粋)
うーん、八木重吉の詩よりはるかに読みにくいですよね。もちろんこれはこれで味わいがあると思います。
でもお友だちにするなら八木くんのほうがいいかな(^^)
話は大きくそれましたが、結局は友だちって何か結論なんてありません。
そんなことにわざわざ定義づけする必要などありませんよね!
その時ともだちだと思ったらみんなともだち!
最後に、『秋の瞳』の序をパクって締めたいと思います。
私は、友だちがいなくては、耐えられないのです。しかし、私には友だちとはなんなのかわかりません。この私の貧しいブログを、これを読んでくださる方々の胸へ捧げます。そして、私をあなたの友にしてください。