goo国語辞書(ひはん【批判】の意味 - goo国語辞書によれば、批判とは
1 物事に検討を加えて、判定・評価すること。「事の適否を―する」「―力を養う」
2 人の言動・仕事などの誤りや欠点を指摘し、正すべきであるとして論じること。「周囲の―を受ける」「政府を―する」
3 哲学で、認識・学説の基盤を原理的に研究し、その成立する条件などを明らかにすること。
という3つの意味があるらしい。
世の中には批判があふれていて、何かにつけて誰かが批判されています。
おそらくその場合の「批判」は上の「2人の言動・仕事などの誤りや欠点を指摘し、正すべきであると論じること」に近いと思います。
ただし世の中の多くの批判は「論じ」られてはなく、ただ攻撃している場合が多いような気がします。
最近はやりの「不謹慎狩り」のみたいに、なんで人はそんなに攻撃したがるんでしょう人間をね。
ひとつは、人は人それぞれの正義を持っていて、その正義とズレたことが行われた場合に言いたくなるということがあります。
ベッキーの不倫なんていい例ですよね。多くの人は「不倫は正しくない」と思っているから攻撃が始まるわけです。
日常のささいなことに関しても自分の正義を主張してくるうっとおしい人が多いです。
自分と仕事のやり方がちがう場合や仕事観がちがう場合、何かとケチをつけてきます。ホント大きなお世話ですよね。「おまえとは考え方がちがうんだよ」って言ってやりたくなります。
次に、人は基本的におせっかいであり教えたがりであるということがあげられます。その「おせっかい」や「教えたがり」がいつのまにか攻撃になっていくのです。
モノを知らない人に対して、人は何かとお世話をしてあげたいというもともとは善意の気持ちがあります。ところが「余計なおせっかい」ということばがあるとおり、他人にとっては迷惑なレベルまで関わってしまうのです。それが「ありがた迷惑」というやつです。
そして、その「おせっかい」や「教えたがり」がだんだん度を超していくと攻撃になっていくのです。せっかく教えてあげてもうまくできてない場合はなおさらひどく攻撃したくなりますよね。
私はこういうのが一番やっかいだと思っています。
最後に、気分で攻撃するというのがあげられます。単純にムカつくと人にモノを言いたくなるってやつですね。
これもタチが悪いです。自分が納得がいかないことがあると単純にムカついて人に攻撃するわけですから。
おそらく批判する多くの人は、単純にムカついただけの人が多いんじゃないかなと思います。そこには論理の欠片もありませんよね。
だいたい人を批判する多くの人が、人を批判できるような立派な人間であるわけじゃあないでしょうから、少しことばを選べよって言いたくなります。
世の中、批判という名の攻撃があふれていて、ネットを見てもまわりを見てもいやになっちゃいますが、そういうのを見ながら自分は気をつけていこうと思います。
まあ、私だって全然立派な人間でもないし、崇高な目的を持って生きているわけでもないし、大した人間でもないんですけどね。
もっとお互いにお互いを尊重して生きていく世の中になったらいいなぁと思います。