ポスターの剥がし時

昨日の日経、夕刊「プロムナード」は
芥川賞作家の川上未映子さんでした。

川上未映子さんの作品は
読んだことがないのですが、

さすがの表現力!
と思います。

「わかならいことばかり」
ということを

まるでわからなさの足し算とかけ算で
世界は盛り盛りとできあがっているかのよう。


という直喩。

ことばを大切にしている作家は
エッセイでも自然に
こういう表現ができるんですね。

私もささやかなブロガーとしては
その表現方法を
見習っていかなければ・・・汗

さて、昨日のタイトルは
「いつかポスターを剥がす日」
でした。

内容は、

たくさんあるわからないものの中でも
「ポスターの剥がし時」が上位だ

というものです。

少し引用します。

(引用ここから)

もともと特定の知らない人
――芸能人とかですね、を

好きになるということじたいに
縁がなかったせいもあるけれど、

まあ人の顔はさておき、

なにかしらの思い入れや
意味のあるものを壁に貼る、

ということができなかったのだ。

それはいつも貼る前から
「剥がし時」が気になるからで、

このようにして
いったん貼ってしまったものを

今後、何が起これば剥がしてよいのかが
まったくわからなかったからである。

(引用ここまで)

私は部屋にポスターなど
貼っていませんが

おそらく貼ったとしても
「剥がし時」なんて
全く気にしないだろうと予想されます。

「ポスターの剥がし時」を
気にするということ

それはなにか物を買ったときに
いらなくなって

捨て時を気にすることと似ています。

もちろん買った瞬間に
捨てどきなど気にしたことはありません。

先日、Youtubeで音楽を聞くために
スピーカーをうきうきした気分で買いました。

捨てるときのことなど
想像もせずに買いました。

なにかするとき、
それが終わるときのことも
想像しておく必要があるのかな
と感じました。

いま、自分の部屋の整理をしてるのですが
いらないものがたくさん出てきました。

それらは、買ったときには

いらなくなって邪魔だなんて
思わずに買ったものです。

いらない書類もたくさん出てきました。

物を買うときは捨てるところまで想像する。

コレクションするときは、
いったいそれをいつまで収集するのか
想像する。

タダだからといって
むやみにもらうことがありますが
本当につかうか考えてからもらう

そういうことが
私には欠けていたなと思いました。

「最後の時まで想像する」

これから心がけていこうと思います。




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