「言霊」の力を信じ、いいことばを使っていこうと思う(令和2年1月29日)

どーも、万葉集を愛するみっちーです。

 

前回のブログのとおり、私はNHKの「100分de名著」の万葉集を視聴し、万葉集をもう一度読んでみようかなという気分になった。

 

万葉集最高!!!

 

と思いつつも、番組を視聴していてもうひとつ学んだことがあった。それは「言霊」ということばだ。

 

古代、日本では「言霊」が尊ばれていた。この頃の人は「事(こと)」と「言(こと)」は重なり合うものだと考えていて、実際に口にしたことが現実にも起こると思われていた。

 

さらに日常のことばで言うよりも歌にした言葉のほうがそうなりやすい。そこで古代の人は多くの和歌をつくったのである。

 

たとえば、教科書にもよく取り入れられている次の和歌

熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな

(熟田津で、出向しようと月の出を待っていると、月も潮も、絶好の状態となった。さあ、今こそ、漕ぎだそう)

 

これは、愛媛県の熟田津という港で船出する際に作ったもの。内容は、船出の状態になったから漕ぎ出そうというものだが、実際はそうではない。

 

そうあってほしい状態をうたったものだ。こういう表現をすることで、和歌の力が現実を引き寄せると思われていたわけだ。

 

つまり、縁起のいいことを言うと縁起のいいことが起こり、悪いことを言うと悪い事実がやってくるのが言霊の力というわけだ。

 

今でこそ、ここまで言葉には力があるとは思われていないが、その名残は残っている。

 

子どもにいい名前をつけたいというのは、子どもが幸せになってほしいからであり、受験前には「すべる」ということば禁句だし、さらに「キットカット」を「きっと勝つ」という言葉にかけて買ってみたりもする。

 

これらは言霊信仰の名残だ。現代人だって、言葉には現実を引き寄せる力を持っていると思っているのだ。

 

 

本当に言葉にはこのような不思議な力があるかはわからない。しかし、現実に言葉は人を動かす力を持っているのは間違いない。

 

実際「ペンは剣より強し」と言うことばもある。マスコミのことばは暴力よりもひどいし、SNSの中傷は人を自殺に追い込んだりする。

 

それくらい言葉には力がある。

 

また、名言は人を動かく原動力になる。

 

「継続は力なり」とか「雨垂れ石を穿つ」ということばを心に刻み、愚直に物事を実行していく人も多いだろう。

 

「あきらめたらそこで試合終了ですよ」という安西先生のことばは、今でも多くの人が使っていることだろう。

 

私は、あえて、こういう言葉の力を「言霊」と呼びたい。

 

日本では、古くから言葉の持つ不思議な力が信じられてられてきた。そして、言葉には人を動かす力があることはまちがいない。

 

だから、私は「言霊」の力を信じる。

 

そこで、これからはなるべくいい言葉を使っていこうと思う。

 

実際、悪いことばばかり使っていると、性格が悪くなっていくような気がするし、気分も悪くなっていく。

 

いい言葉を使っているとモチベーションが上がってくる。

 

だから、口に出す言葉はいい言葉でなければならない。いい言葉は自分をいい人間に変えていくし、まわりにもいい影響を与えるはずだ。

 

悪いことばは自分を悪く変えていくばかりではなく、まわりの空気まで淀ませてしまう。

 

私の職場にも、以前悪い言葉のスピーカーみたいな女性がいた。自分こそ仕事ができないくせにいつも人の批判ばかりしていた。しかも出てくることばが自分の趣味以外はたいてい人の悪口なのだ。

 

話していて気分が悪くなったのは言うまでもない。その人がいると、職場の空気がとても悪くなっていったわけだ。

 

だから、悪い言葉はあまり出さないほうがいいのだ。

 

もちろん弱音を吐いたり、本音を吐露することはあってもいいと思う。自分の中で悪い言葉がだんだん大きくなっていき、それを吐き出したくなることもあるだろう。

 

でも、それをずっと言い続けてはいけない。吐き出したあとはいい言葉でもって洗浄していきたいものだ。

 

そうしたら、自分にとってもまわりにとってもいい環境になることはまちがいない。

 

ということで、私は言霊の力を信じ、これからなるべくいい言葉を使っていこうと思う。

 

言葉のいいパワーを大切にしていきたい。