昔の教え子と約15年ぶりに再開!(令和元年12月3日)

もと塾講師のみっちーです。

 

昨夜、昔働いていた塾の教え子と呑んだ。直接教えたのは彼が小学生の頃で、しかもかなり短い間だったと思う。

 

そして彼が中学三年生の時に、冬の特別講習っぽいイベントでちょっとだけ会ったのだった。

 

会うのはそれ以来。

 

きっかけはたしかFacebookだったかな。わざわざ私を見つけてくれたのだ。

 

そして、TwitterInstagramのフォローもしてもらい、さらにブログも読んでいる。

 

昨日会ってわかったのだが、かなりしっかり読んでくれていてビックリした。

 

まあ、そこまで絡んでくれるのはうれしいものだ。

 

ちなみに最寄りの駅が同じだ。それで一緒に呑むことになったのだ。

 

15年ぶりに会った教え子は、とてもいいやつだった。礼儀正しく、腰が低く、人を立ててくれるそんなやつだった。

 

私の今の職場にいる若手のヤツらとはえらいちがいだ(笑)

 

私も立場に関わらず人に対して丁寧に接することができる人でありたいと思う。

 

お互い次の日が仕事ということもあり、それほど遅くまでは呑まなかったが、濃密な時間を過ごせた。かなり有意義だったなぁ。

 

思うに、教え子というものは特別だ。

 

人間関係の中には、上司と部下・恋人同士・家族・夫婦・兄弟・友人・親友などいろいろなタイプがある。

 

そのどれにも当てはまらない。むしろ他人だ。

 

にも関わらず、教え子は特別だ。

 

教師が塾で教える時、かなり熱を入れる。

 

私の教える姿を見て、あまりそう思わなかった人も周りにはいたかもしれない。

 

授業前にいろいろ調べて、それをまとめて、どうやったら子どもに伝わるか考え、それを生徒にぶつける。

 

授業は真剣勝負だ。

 

言っちゃあ悪いと思うけど、今の仕事の100倍くらい一生懸命やっていたと思う。

 

また、それくらいじゃないと才能のない私には教師は務まらなかった。

 

その一生懸命やってた対象が教え子なのだ。

 

大袈裟な言い方をすれば、自分の情熱や魂をぶつけていた相手が教え子であった。

 

そんな教え子だから特別な存在にならざるを得ない。

 

昨夜、教え子と呑んで、昔そんな思いで仕事をしていたことを思い出した。

 

私は「人に教える」という仕事を経験することができた。それはとても貴重な経験だ。

 

私は感謝しなければなるまい。