富士山を詠んだ和歌が万葉集にあるんですが、先日実家に帰ったときに、ふと思い出しました。
さ寝らくは 玉の緒ばかり 恋ふらくは 富士の高嶺の 鳴沢のごと
さぬらくは たまのをばかり こふらくは ふじのたかねの なるさわのごと
意味はこんな感じかな。
共寝したのは短い間。しかしあなたは求めている心は、富士の高嶺の鳴沢のように激しい。
万葉集の時代で、「寝る」と出てきたらこれは恋の表現の一つです。
ふたりでいられる時間は一瞬だけ、とても悲しいですね。
好きな人といると時間が経つのが異様に早く感じます。
しかし、心のほうは富士山から流れる沢のようにとても激しいようです。激しく相手を求める心を「富士の高嶺の鳴沢」にたとえているわけです。
短い時間と激しい恋心を対比させて、恋のつらさや、恋心の大きさを表現がしているのでしょうね。
この和歌は『万葉集』の中で地方の歌である「東歌」に分類されていて、数多くの「東歌」が収録されている巻十四に入っています。
東歌にはこのような直接な表現が多いのですが、この歌は富士の高嶺が出てくるくらい壮大なスケールの恋心なんですね。
「おれの気持ちの大きさは富士山以上だよ」ってノリです。すごいなぁ。
私なんぞはもう激しく恋する心など存在するのかって感じですからね。
だれかー、オレの心を激しく燃えさせてくれ‐!