せみの死骸が多すぎて悲しい 2021-07-23

夏といえばセミ。むかしほどではないとはいえ、やはりセミの鳴き声はよく響き渡る。今でも夏の風物詩って感じだな。

子供の頃はよくセミを追い回していた。つかまえたらうるさいってわかってるのにアミを持ってつかまえては虫かごに入れていた。いまは絶対にやらないだろう。

セミの種類もいくつかおぼえていて鳴き声で判断していたような気がする。

最近でもよく見かけるのはアブラゼミで、このセミの鳴き声ばかり聞いている。ミンミンゼミって今でもいるのかなぁ。

 

ところで、ここのところ歩いているとセミの死骸が道路に落ちている。1匹とか2匹とか朝に道を歩いていると見かける。

セミの生命は短いので、よく命の儚さにつかわれる生き物だが、こうやってセミの死骸ばかり見ているとなんだか虚しさが募ってくる。

 

セミに限らず、昆虫の死骸は時間がたつと乾燥して、だんだん粉々になっていく。それを見ていると、「おまえの命はどこにあったんだ」と言いたくなってくる。

こんな小さな体のなかにも命が入っていたんだよなぁとしみじみと思ってしまう。

 

私の命は、セミの命よりは長いが、あと二、三十年も経つと死ぬだろう。自分が死んだあとを自分で見ることができないが、その場面を想像するとやはり虚しい。

自分の命には限りがある。しかも、もうそんなに長くはない。

これまでに生きてきた時間を思い返してみると、あっという間だった。そして今日から死ぬまで、時間はとても早く過ぎ去っていくにちがいない。

そう考えると、残された時間、悔いのないように生きなくてはいけないなぁと思う。