論語の「三人行めば必ず我が師有り」を読み、自分以外みな師であると思った(令和2年1月26日)

どーも、みっちーです。

 

今の職場にもすっかり長くなって、自分もベテランになってきた。ベテランになってくると、たまに自分が天狗になっていることに気づく。

 

「自分は仕事ができるぞ」とか「自分にはこういうことができる」とか、あるいは「あいつはここがダメだ」とか、なにかと分析家や批評家いなってくるものだ。

 

私はそうならないように気をつけている。

 

どこの組織でもベテランはいるし、ベテランのなかにはエラそうなやつがいる。これはしょうがないことだ。しょうがないことではあるが、そういう人は組織の中ではやっかいだ。

 

本当に実力があれば多少は許すが、そうでないのにイバッているやつもいるからだ。

 

とにかく自分は、実力もないのに威張るような存在にはなりたくないものだ。

 

ところで、先日、私と一緒に働いている中国人のスタッフが、突然「論語」の一節を教えてくれた。

 

論語」とはいうまでもなく、孔子のことばを弟子がまとめたものだ。学校の教科書にもいろいろ取り上げられている。

 

有名なのはこれらかな。

学びて時に之を習う、亦た説ばしからずや

巧言令色、鮮し仁

 

むかしの名言めいたものって、ことばが簡素だから、受け取る側の想像力が高くないとあまり役に立たないものが多い。

 

現代人っていうのは、とかくわかりやすく隅々まで行き届いた説明を求めるので、論語は向いていないかもしれない。

 

しかし、私みたいな、論語をあまり知らないものでも、何度も解説を読んだり本文を読んだりしていると、そのうち言葉が自分の経験と照らしあわさって理解が深まっていく。

 

やはり、若い頃論語を勉強しておいて、年をとって経験を重ねてくると見えるものがあるようだ。少しでも論語を読んでおいてよかった。

 

さて、話をもとに戻したいが、職場で突然「論語」の一節を教えてくれた女性は、けっこう勉強家で物知りだ。最近「論語」を勉強しているというので、親切にも私に教えてくれたようだ。

 

ふだん勉強不足の私にはとてもありがたい。

 

その女性の教えてくれた論語はこちらだ。

子曰く、「三人行(あゆ)めば、必ず我が師有り。其の善き者を択んで之れに従う。其の善からざる者にして之れを改む」

【現代語訳】

先生が言われた。「私は三人で行動したら、必ずそこに自分の師を見つける。他の二人のうち一人が善い者でもう一人が悪い者だとすると、善い者からはその善いところをならい、悪い者からはその悪いところが自分にはないか反省して修正する(どこにいても師はいる。我以外皆師である)

 (ちくま文庫版「論語」より)

 

本文でいう「三人」というのは、必ずしも三人でなくてもいいように思われる。

 

おそらく、複数の人間がいれば、そこには必ず自分の師がいるということが主旨だろう。

 

孔子といえば、みんなから先生だと言われているのに、それでもそこに「自分の師」を見つけるというだから驚きだ。

 

孔子ほどの人間でもこうなのだから、私みたいな凡人はもっと「必ず我が師あり」の気持ちでいなければいけない。

 

確かに、職場にいても、まわりの人間から学ぶことは多い。

 

接客することはチャレンジだということを教えてくれたり、途中であきらめない姿勢を見せてくれたり、さまざま私はまわりの人から影響を受けている。

 

ハートの部分も、テクニックの部分も、まだまだ未熟な私にとって、まわりにはさまざまなお手本がいる。

 

さらに、「善からざる者にして之れを改む」という部分も重要で、仮に悪い部分を持っていた人がいたとしたら、同じような悪い部分を自分が持っていないか振り返ることも必要だ。

 

そういう意味で、自分以外の者はみんな師であると言えよう。

 

最近ベテランになってきてしまった私は、ますます図に乗らないようにしなければいけない。

 

ちょうどいいタイミングで、中国人のスタッフが私に「論語」の一節を教えてくれたよかった。

 

しっかりおぼえておこうと思う。

 

ちなみに今回引用した論語齋藤孝さんが訳した者を使用した。とてもわかりやすい解説なので、興味があったらぜひ手にとってほしい。

論語 (ちくま文庫)

論語 (ちくま文庫)

  • 作者: 
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2016/10/06
  • メディア: 文庫