2015-08-29 恋と愛のちがいを考えた結果・・・(№43)

昨日、一昨日と「恋」や「愛」がブログのテーマでした。

 

一昨日が「恋をすると楽しい人生になるんでしょうか?」、昨日が「美女と野獣の愛」です。念のために言っておきますが、私が恋愛に飢えているからこういうテーマになっているわけではありません。

 

あくまでも偶然です。

い、いや、ちょっとは恋愛に飢えているかな(笑)

 

まあ、どちらでもいいですね。

 

ところで、「恋」と「愛」のちがいですが、「恋」はどちらかというと行動的、「愛」はどちらかというと思想的だと思っています。

 

「恋」はもともと日本語では「こふ」という動詞でした。相手を求めるとき動作を示します。

 

一方、「愛」という日本語はもともと存在しませんでした。相手を思う気持ちのことを「愛」といいます。

 

ただ、一般的に「恋」は異性間に使い、「愛」は異性間だけでなく、親子や師弟など幅広く使うことから意味の違いはだいたい予想できます。

 

ネットなんかで調べるとこんな「恋」と「愛」のちがいについてこんなふうに出てきます。

 

恋は自己満足、愛は自己犠牲

 

恋は奪うもの。愛は与えるもの

 

恋はおしゃべり、愛は沈黙

 

恋『この人のために死ぬ』、愛『この人のために生きる』

(誰もが一度は考える「恋」と「愛」の違い 「NAVERまとめ」より)

 

四番目の「この人のために死ぬ」なんてのはなかなか興味深いです。確かに『万葉集』などでも「恋」の歌に「死」ということば多く使われていますので。

 

思ふにし死にする物にあらませば千遍(ちたび)そ我は死に変らまし

(もし思うだけで死んでしまうものであるなら、私は千遍も繰り返し死んだことでしょう。)

 

この歌は笠女郎という女性の短歌で、大伴家持を思って詠んだものです。「死ぬほど恋しいといいますが、恋のために死ぬとしたら私は千回くらい死んでいますよ」ってニュアンスの歌です。

 

もっとも先の「この人のために死ぬ」というのはまたちょっと意味がちがうかもしれませんがね。

 

話がそれてきてしまいました。ただ、ひとつ言えるのは、決して、恋のほうが相手を思う気持ちが弱く、愛のほうが強いというわけではありません。もともと性格のちがうことばだったのです。

 

さきほども書いたように、「恋」は具体的な動作なんです。「愛」はそれに対しての内面なのです。おそらく「愛する」ってことばができてから混同していったのだと思います。

 

さて、いろいろ両者のちがいについて書いてきました。

 

ここまで書いてなんなんですが、私にとっては「恋」と「愛」。実はわたしは「恋」と「愛」のちがいなんてどうでもいいと思っています。

 

 

芥川龍之介侏儒の言葉』に「或る仕合わせ者」というタイトルで一行文があります。

 

 彼は誰よりも単純だった

 

シンプルが一番!私はいつもそう思っています。何でも難しく考えるから不幸になるのです。

 

ということで、「恋」や「愛」のちがいなんてどうでもいいんです。「好き」や「大好き」で十分。

 

ちなみに、先日プロブロガーの宮森はやとさんがこのようなブログを書いていました。

 

www.miyahaya.com

 

そこで「愛」についても触れられていました。けっこう私もそこに書かれた考え方が好きです。

 

また話がそれましたが、結論をいうと、「愛」と「恋」のちがいなんてどうでもいいということです。

(しつこいですね)

 

あまり難しいことを考えずに楽しく生きていくのが一番です。それが楽しく生きる秘訣なんじゃないかと思います。

 

(なんと雑な結論・・・笑)

 

ことばについて、深く考えている方、まことに申し訳ありません。