どーも、みっちーです。
最近はマジメな本も読んでいて、ちょっと堅苦しい「論語」なんかに興味が出てきた。
そこで、安岡正篤「論語の活学 人間学講話」というのを読んでいる。
論語というのは今更解説するまでもなく、孔子のことばを集めたものである。
中学校の教科書に「子曰く・・・」と出ていて、それが印象的だったのだが、その時から今まできちんと読んだことはない。
いいことがたくさん書いてあるはずなのだが、今まで断片的に触れるのみだった。
そこであらためて、安岡正篤さんの講話に出てくる論語を読んでみようと思ったわけだ。
これ、読んでいると、いろいろ考えさせられることが多い。もちろん安岡正篤さんの解説がすごいのだが、論語の奥深さをあらためて知ることになった。
今回は、そのなかの一節をご紹介したい。まずは論語の一節。
次に安岡さんの訳。
政治家は常に先頭に立って骨を折らなければいけない。そして、民衆をねぎらうことも必要だというのが孔子の答えだ。
今の政治家のみなさんにもそうあってほしいものだ。
そして、そのあと子路は孔子に「もっとありませんか(益を請う)」と尋ねた。
そうしたら「倦むこと無かれ」と言ったわけだ。安岡さんの訳はこうだ。
途中で嫌になってはいかんぞ
こういう回答は、形は違えどいろいろなところで言われている。
たとえばことわざの「継続は力なり」みたいに、続けていくことが大切だというように言われている。
また、スラムダンクで安西先生が言ったあの有名なことば「あきらめたらそこで試合終了ですよ」も同じことであろう。
執念深く、あきらめないで続けていくことで、物事は成し遂げられるのだ。
それはわかっている。
わかっているのだが、孔子がこのタイミングで「倦むこと無かれ」と言ったのがとても重要だと思われる。
弟子の子路が孔子に、まず、政治をするのに何が重要なのか尋ねた。
孔子は「先頭に立って骨を折る」ことと「民衆をねぎらうこと」を挙げた。
そして、その次が「倦むこと無かれ」なのだ。
民衆のために骨を折ることも、民衆をねぎらうことも大事だが、それを途中でやめたら元も子もない。
いいことをしたって、続けなければすべてがパーになってしまうのだ。
だからこそ「倦むこと無かれ」なのだ。
とても単純な教えだけど、振り返ってみるとよくわかる。
今まで、私は何百何千という決心や決意をしてきた。
ダイエットしたいと思い筋トレをやったしウォーキングもしてきた。
本をたくさん読もうと思い、今まで読みきれないほどの本を買った。
仕事をがんばろうと思い、いろいろ作戦を立てて工夫するようにしてきた。
人間関係がうまくいくように、自分磨きをしようとしたり、人と仲良くしようと心かげてきた。
部屋が汚くなりがちだから、定期的に断捨離や掃除をしようと心がけた。
こんなふうに、さまざまなことをやろうとしてきたが、大半が中途半端に終わってしまう。
何かを成し遂げようとして、一番むずかしいのは、続けることなのだ。
だから孔子の言う「倦むこと無かれ」は超重要だ。
人というのは(自分だけかもしれないが)、なんでも嫌になって途中で投げ出してしまう。
面倒くさかったり、大変だったり、時間が厳しくなったりして、あきらめてしまう。
続けることはとても難しいのだ。
そういう意味で「倦むこと無かれ」は奥が深い。
私はこの論語の一節を読んだときに、「倦むこと無かれ」は一生使える言葉だと思った。
毎日毎日「倦むこと無かれ」を心に刻んで生きていきたい。