親は時代遅れの存在 2018-12-06

どーも、みっちーです!

 

2連休だったので2日とも映画を観に行っちゃった。いい休日をすごしたなぁ。

 

ところで、私は「みっちーの映画日記」というブログもやってるんですが、こちらは観てすぐ更新ができなくて、それが課題だな。

 

とりあえず先週観た映画のブログを更新したのでよろしく。

「人魚の眠る家」の感想:脳死について考えさせられた - みっちーの映画日記

 

では、昨日の日記。

 

 

親は時代遅れの存在

 

はあちゅうさんのツイートに衝撃を受けた。

「親は時代遅れの存在」。こんな発想はなかった。

 

親は目標であり、いい手本であるべきだというのが私の考えだ。

 

師匠や先生と呼ばれる人も同じ。

 

先人は尊敬し尊重されるべきものというのがこれまでの考えである。

 

そして、それは正しい。

 

が、一方で時代遅れの存在であることもまちがいない。

 

古い考え、古いしきたり、時代に合わないやり方、これは改めなければならない。

 

もちろん古い時代のものを全て排除するというわけではない。

 

いつまでも固執すべきものでないものは、やめろという話だ。

 

そして、時代遅れの存在は親だけではない。自分も時代遅れになっていくことに気づかなければいけない。

 

自分もまた、古い考え方に囚われているかもしれないから。

 

だから、時代遅れということについては、もっと敏感にならなければいけないな。

 

もっと若者をよく見て、時代を見つめていこうと思う。

 

 

最後に

 

というわけで、はあちゅうさんから学ぶことは多い。若者から学ぶのと同時に、はあちゅうさんのことばも注意深く見ていきたい。