吉野弘「生命は」が、私を励ましてくれる

人はなぜ生きなければいけないのか

命とは何なのか

自分の存在は必要か

 

若い頃、いろいろ考えたものでした。いや、幾分、年をとった今でもたまには考えたりもします。

 

そんなことを考えていたあるとき、ふとこの詩が目に留まりました。詩人、吉野弘の「生命は」です。

 

生命は

 

生命は

自分自身だけでは完結できないように

つくられているらしい

花も

めしべとおしべが揃っているだけでは

不充分で

虫や風が訪れて

めしべとおしべを仲立ちする

生命は

その中に欠如を抱き

それを他者から満たしてもらうのだ

世界は多分

他者との総和

しかし

互いに

欠如を満たすなどとは

知りもせず

知らされもせず

ばらまかれている者同士

無関心でいられる間柄

ときに

うとましく思うことさえも許されている間柄

そのように

世界がゆるやかに構成されているのは

なぜ?

 

花が咲いている

すぐ近くまで

虻の姿をした他者が

光をまとって飛んできている

 

私も あるとき

誰かのための虻だったろう

 

あなたも あるとき

私のための風だったかもしれない

 

 

これを読んだとき、

 

世界はこのように構成されていたのかぁ

 

としみじみ思ったものです。

 

当たり前ですが、人は一人では生きていけない。いつも誰かの力を借りて生きています。

 

もしかしたら、「オレは一人で生きている」という強い人もいるかもしれない。しかし、そんな人だって、必ず誰かのおかげで生きています。

 

食事だって、仮に自分でつくったとしても、その材料となる肉や野菜やお米は誰かに作ってもらったものです。

 

靴だって、洋服だって、かばんだって、誰かがつくったものを身につけているはずです。

 

自分以外の誰かがいるから、生きていけるのです。

 

また、他者がいるから癒やされるし、勇気づけられるし、学びを得たりもします。

 

そしてとても大事なことは、他者がいるから自分の存在を確認できるということです。

 

この詩を読んで、そんなふうに思いました。

 

 

☆☆☆

 

生命は

自分自身だけでは完結できないように

つくられているらしい

 

この詩を読むまでは、生命が「自分自身で完結できないようにつくられている」などとはゆめにも思いませんでした。

 

だって、自分の生命は自分のものですからね。

 

しかし、それは次の部分でちがうんだと気づかされます。

 

花も

めしべとおしべが揃っているだけでは

不充分で

虫や風が訪れて

めしべとおしべを仲立ちする

 

花がどうやって実を結ぶか、実は「めしべとおしべが揃っているだけでは不充分」です。 虫や風があってこそ実を結ぶことができるのです。

 

そこから導き出せる結論はこうです。

 

生命は

その中に欠如を抱き

それを他者から満たしてもらうのだ

 

生命そのものには、足りない部分があり、他者がその足りない部分を満たしてくれるというわけです。

 

だから

世界は多分

他者との総和

なのです。

 

世界というものは、「他者との総和」であり、個人というものがあるものの、それは世界の一部であります。

 

そして、そんなこととは知らずに我々は生きているというわけです。

 

 

☆☆☆

 

たまに、自分の存在理由を見失うことがあります。

 

生きていても、誰かの役に立っているとも思えないからです。

 

親にはさんざん迷惑をかけました。高校や大学は私立でお金をかけてもらって、おまけに大学院までいかせてもらいました。

 

ところが、今、大学に行って学んだことは全く役に立てずにいます。仕事は、自分が大学で専攻したことと1mmも関係ないことしてますからね。

 

本当に親不孝者だ。

 

また、前職で、同じ会社にいた女性と結婚するつもりだったのに逃げられもしました。彼女にとって私は必要のない男だったのです。

 

今の職場は、私などいなくても充分やっていける環境で、私など使い捨ててもいい存在です。

 

なんか、むなしい人生だなぁと思うことが多々ありました。

 

 

☆☆☆

 

そんなむなしい人生を送っている私が出会ったのが、この「生命は」でした。

 

この詩の最後が、私にとって、とても励みになります。

 

花が咲いている

すぐ近くまで

虻の姿をした他者が

光をまとって飛んできている

 

私も あるとき

誰かのための虻だったろう

 

あなたも あるとき

私のための風だったかもしれない

 

もしかしたら私も「あるとき 誰かのための虻だった」のかもしれない。 

 

または誰かのための「風だった」のかもしれません。

 

虻や風は、花にとって必要なものです。おしべとめしべの仲立ちですからね。

 

花そのものに欠如しているものを満たす存在です。

 

そして私という存在も、誰かに欠如している部分を満たす存在なのかもしれません。

 

本当はどうなのかわかりませんが、そう信じることにしました。

 

きっと世界は「他者との総和」であるにちがいないから。