万葉集の歌人、大伴家持の孤独「うらうらに照れる春日に・・・」

我が国最古の和歌集「万葉集」。その編集に深く関わったといわれているのが大伴家持です。

 

万葉集には家持自身の和歌が五百首ほど収録されていますが、その中で、こういうのがあります。

うらうらに 照れる春日に ひばりあがり こころ悲しも ひとりしおもへば

 

前半の3句

 

「うらうらに 照れる春日に ひばりあがり」

 

までは家持が実際に見た風景、あるいは心の中に描いた春の風景ですね。

 

「うらうらに」というのはよくわかりませんが、次の句が「照れる春日」なので「うららかに」というような意味でよろしいでしょう。

 

つまり、「うららかに照っている春の日に、ひばりが空高く舞い上がっている」って感じの風景を詠んでいます。

 

実におだやかな春の風景という感じがしますねぇ。

 

ところが、4句目から突然変わって、「こころ悲しも」となります。

 

こんなにうららかな春の日差しが照らされている中、心の中には悲しみがこみ上げてきているのです。

 

そして5句目は倒置法で「ひとりしおもへば」と締めています。

 

「ひとりで思っていると何かしらもの悲しさが湧いてくる」という感じでしょう。

 

大伴家持が、なぜこんなに悲しい思いをしているのか、とても気になるところですが、今回は、あえて触れないことにして、

 

この歌で注目すべきは「ひとり」なんですよね。

 

家持は「ひとり」で思っているんです。ここが重要なところです。

 

 

ところで「ひとり」というのは、辞書にはこのような説明があります。

dictionary.goo.ne.jp

 

1、人数が1であること。一個の人。いちにん。「―に一つずつ配る」「乗客の―」

 

2、仲間・相手がいなくて、その人だけであること。単独。「―で悩む」「―でいるのが好きだ」

 

3、他の人の助けを借りず、その人だけですること。独力。自力 (じりき) 。「―ではなに一つ満足にできない」「―で解決する」

 

4、配偶者のないこと。独身。「いまだに―でいる」

 

特に難しいことばではありません。子どもでも知っていることばです。

 

ただ、「ひとり」というと、漢字で「一人」と書くように、人が一人なんです。つまり上の辞書の項目でいうと、1あるいは2にあたります。

 

しかし、単純に「一人」かというと、なかなかそうは言い切れないところがあります。

 

「ひとり」というのは「独り」とも書きます。つまり、この場合、孤独の意味合いを帯びてきます。

 

そしてこの和歌の場合の「ひとり」「一人」よりむしろ「独り」という漢字をあてたほうがふさわしい感じがします。

 

それを踏まえて、もう一度この歌の情景を思い浮かべてみましょう。

 

すると、家持は「独り」で静かに物思いにふけっている様子が浮かんできます。

 

彼の目の前には春のうららかな風景があるのにも関わらず、もの悲しい気持ちになっているのです。

 

「独り」はすなわち孤独な様です。家持はまさにこの時、「一人」ではなく「独り」を感じていたのでしょう。

 

それがどんなに悲しいことだったか・・・。

孤独がどれほどつらいものか・・・。

 

ひとり暮らしをしたことがある人、あるいは今している人ならば経験があるかもしれません。

 

友達がいたり恋人がいたりして心が満たされているとき、ひとり暮らしの部屋に帰ってきて「一人」でいても「独り」だとはさほど感じられません。

 

ところが友達に裏切られたり、恋人にフラレてしまったとき部屋に戻って「一人」でいるとものすごい「独り」を感じてしまいます。

 

前者は「一人」が単に一人でいるだけなのですが、後者は「一人」「独り」つまり孤独な状態というわけです。

 

家持はおだやかな春の日、きっと深い孤独を感じていたんでしょうね。この時の家持の気持ちは計り知れないものがあります。

 

孤独なときの心など、何を持ってしても、なかなか埋めることができません。

 

私もたびたび孤独な気持ちに陥ることがありますが、そんなときはどうすればいいんでしょうね・・・。

 

この時の家持のように、ただ独り、ものを思うしかありません。なすすべもなく孤独を味わうしかないんでしょうね・・・。

 

この和歌を思い出すと、たまにものすごく切ない思いになることがあります。 大伴家持の孤独を思うと、胸が痛みますね。

 

孤独、それだけは味わいたくないものです。しかし、いつ孤独になるかはわかりません。願わくば、ずっと信頼できる人がそばにいてほしいものです。