立原道造は「今は 二月 たつたそれだけ」と言い、私はそれを読んで寂しくなる

「今は2月」

 

春は確実にやって来ているが、この寒さでは、春の気配すら感じることができません。

 

カレンダーで「今は2月だ」と思った時、「春はもうすぐやってくるんだよ」とほんのり意識に上ってくる程度。

 

ただ、この「2月」を意識したときに、きまって思い出すのが、詩人、立原道造の「浅き春に寄せて」です。

 

今は 二月 たつたそれだけ

あたりには もう春がきこえてゐる

だけれども たつたそれだけ

昔むかしの 約束はもうのこらない

 

今は 二月 たつた一度だけ

夢のなかに ささやいて ひとはゐない

だけれども たつた一度だけ

そのひとは 私のために ほほゑんだ

 

さう! 花は またひらくであらう

さうして鳥は かはらずに啼いて

人びとは春のなかに笑みかはすであらう

 

今は 二月 雪の面につづいた

私の みだれた足跡・・・それだけ

たつたそれだけーーー私には・・・

 

「今は ニ月」

「たったそれだけ」

「あたりにはもう春が聞こえている」

なのに

「たったそれだけ」

 

この詩からは、どうしようもない寂しさが感じられます。

 

それはおそらく作者の「孤独」が感じられるからでしょう。

 

春が来ている、春の暖かさがそこまでやってきている2月。やっと寒い冬が終わる2月。

 

それなのに、作者には「たったそれだけ」、2月だからと言って、特になにもありません。

 

春が来たら、花が咲き、小鳥がさえずるでしょう。

 

でも、作者にとっては、今、目の前にある乱れた足跡があるのみです。やがて来る春のことなど何も関係ないのです。

 

それほど、この詩は寂しい詩だといえます。

 

 

☆☆☆

 

この詩を読んで、「わかるわかる!」と思った人は、今までたまらない寂寥感を味わったことがあるにちがいありません。

 

 

「いつか、いいことがあるかもしれない」

 

「やがて、いい出会いがあるかもしれない」

 

私はかつて、そんなことが、ちっとも想像できないくらい、寂しい思いを抱いたことがあります。

 

 

「なんでこの場面で涙が出てくるんだろう」と思うくらい

わけもなく涙が出てくる、

ただ寂しいだけなのに涙があふれてくる。

 

そんな経験をしたこともあります。

 

どうしようもなく寂しいのに、何もできず、ただじっとしていたこともあります。

 

「寂しい」という言葉では支えきれないくらいの「寂しさ」をその時は感じてしまいました。

 

 

たまに、私の心の中に現れる、この寂しい気持ちってどうすりゃいいんでしょうね?

 

なんというか、心が乾いているというか、心が潤いを求めてるというか、よくわからないこの寂しい気持ち。

 

 

で、2月になると、立原道造のこの詩を思い出し、自分もたまに、こんな気持ちになるなぁって思い出すんですよね。

 

 

いやですねぇ・・・。

 

弱いなぁ・・・。

 

もっと強くなりたいなぁ・・・。

 

立原道造の「浅き春に寄せて」は、そんな自分の弱々しさを、再確認させられる詩だといえるでしょう。