万葉集に残された無常の歌「世の中を何に喩へむ・・・」

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命、人生、運命・・・、これらのことは、考えても考えてもどうにもならないものですが、それでも考えてしまうものです。

 

なんで、この世の中に生を受けたのかなぁ?

 

生きてることに意味があるのかなぁ?

 

運命には逆らえないよなぁ・・・

 

・・・などなど。

 

 

そんなことを考えている途中で、ふと万葉集の和歌が頭の中に浮かんできました。

 

世の中を 何に喩へむ 朝開き 漕ぎ去にし船の 跡なきごとし

 

世の中って何に喩えられるかなぁ?

世の中って、朝早く港を出ていった船の出て行った跡が、何ひとつ残っていない水面のようなものだ。

 

たぶんこんな意味でしょう。

 

これは万葉集巻三に収められている沙弥満誓というお坊さんの和歌です。だから少し仏教的な無常観が歌の中に込められている感じがあります。

 

無常観というと鎌倉時代というイメージがあるのですが、すでに万葉集の時代から、その兆しがあったんですね。

 

ここでいう「世の中」とは「この世」とか「世間」あるいは「世界」という意味です。

 

この世で起きた全ての事象は、儚くもしばらくすると消えていきます。

 

みっちーという一人の人間が、どんなにがんばって生きていこうと、どんなにドラマチックな恋をしようと、どんなに親孝行をしようとも、私が死んでしまえば見事に消えてなくなります。

 

船出で水面が波立ったのに、しばらくすると消えてしまうかのように・・・。

 

 

人気グループSMAPだってもうすぐ解散したし、往年の名女優、野際陽子さんも亡くなりました。

 

グレイシー・ハンターと言われホイス・グレイシーに勝利した桜庭和志も、今は総合格闘技の舞台では活躍できません。

 

一世を風靡した人気者だろうと、とてつもない強さを誇るスポーツ選手だろうと、時間が経つと衰えていくのです。

 

それが無常というもの。

 

世の中は水面の波と同じで、儚く消えていくのです。

 

このたとえと似たようなのは、鎌倉時代の随筆『方丈記』冒頭にもあります。

 よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし

(川のよどみに浮かぶ泡は、一方では消え、そうかと思うと一方ではまたできてというように、長く同じ状態を保つということはない)

 

世の中は儚いものです。世界は変わっていきます。自分のまわりもどんどん変化していきます。

 

職場の環境はどんどん変わり、人間関係も変わっていきます。親しい人もいつのまにか疎遠になったりもします。

 

そして、自分もやがて死にます。

 

そんな儚い世界の中で、儚い命を持った私はどうやって生きていけばいいのでしょうか。

 

沙弥満誓の和歌を思い出したときに、ふと思ったのでした。

 

 

結局、人生についていくら考えても答えはでないでしょう。願わくば、儚い世の中においても楽しく生きていきたいものです。