中原中也の詩「帰郷」を読むと、自分もつらい気持ちになる

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こちらは、私の父が畑で育てたトマトです。


仕事をやめてからも、こうやって趣味があるのはいいことですね。父はとても行動的な人です。
 

ふだんは、父の住む実家から離れて、私は一人暮らしを満喫しています。一人って淋しいと思われがちですが、年がら年中淋しいわけではありません。

 

けっこうやることがたくさんあるし、自由にやれるし、この歳になっても一人暮らしはなかなかいいもんだなぁと思っています。

 

それでも、盆と正月は実家に帰るようにしています。こんな私でもずっと帰らないと淋しいみたいなので。

 

ある夏の日に、帰省してからぼーっとしていたら、中原中也の詩を思い出してしまいました。

 

帰 郷
  
柱も庭も乾いている 

今日は好い天気だ 

    縁の下では蜘蛛の巣が 

    心細そうに揺れている

 

山では枯木も息を吐(つ)く 

ああ今日は好い天気だ 

    路傍の草影が 

    あどけない愁(かなし)みをする

 

これが私の故里(ふるさと)だ 

さやかに風も吹いている 

    心置なく泣かれよと 

    年増婦(としま)の低い声もする

 

ああ おまえはなにをして来たのだと・・・ 

吹き来る風が私にいう

 

(一部よみがなをつけ、漢字を読みやすい漢字にしました)

 

「今日は良い天気だ」が2回ほど繰り返されていますが、そのあとにそれぞれ、

 

心細そうに

あどけない愁しみ

 

という語句が続くところが、どうやら中原中也の故郷に対する思いが垣間見えます。

 

 

その後、「これが私の故里だ」とありますが、その後にも

 

心置なく泣かれよ

 

と、悲しみを連想させる語句が続きます。

 

 

そして最後が、この詩の最大の山場です。

 

 ああ おまえはなにをして来たのだ

 

これは中原中也、最大の嘆きでしょう。

 

後悔なのか、自責なのか、反省なのか、よくはわかりません。ただ、「おまえは今までなにをやってたんだ」と自分に問いかけています。

 

今のままではいけないと思っている中也の気持ちが強く読み取れます。

 

 

ああ おまえはなにをして来たのだ

 

この部分、読んでいて、私にとってもかなりきつい部分です。

 

人生の折り返し地点を過ぎた私ですが、養うべき家族もなく、長年勤めていた会社もやめてしまい今は何のスキルもなく、財産となるものもなく、名声もない、そんな人間です。

 

なにひとつ人に誇れるものがありません。

 

仮に自伝を書いたとしても、山場になるような出来事がないので、なにもおもしろくないでしょう。

 

 

本当に自分自身に言いたい気分・・・

 

「おまえはなにをして来たのだ」

 

と。

 

 

とはいえ、過去を変えることはできないので、どうしようもありません。

 

どうしようもないから、もどかしい。

 

でも、なにもできない。

 

 

毎回、実家に帰ってくるたびに、両親は喜んでくれる反面、がっかりもしています。

 

今の仕事についても納得していないようだし、孫の顔も見たいようだし、何かしてほしいようだし・・・。

 

振り返ってみると、ダメダメだなぁ。

 

いつもマイペースの私ですが、実家に帰ってくると、自分のダメダメぶりに自分自身に失望してしまうのでした・・・。

 

ちょっと立て直さなきゃだな、自分自身を・・・

 

中原中也の詩を読んで、ちょっとキツい気分になるのでした。