八木重吉の詩「虫」を読み、人生について考えた

秋の夜長は、昔だったら虫の鳴き声なんかを楽しんだことでしょう。

 

あれ松虫が 鳴いている

ちんちろ ちんちろ ちんちろりん

あれ鈴虫も 鳴き出した

りんりんりんりん りいんりん

(童謡「虫のこえ」より) 

 

幼いころ、外でとってきた昆虫を虫かごに入れて、飼っていたような記憶があります。

 

大人になって、虫を飼おうなんてこれっぽちも思わなくなりました。

 

これが時代の流れなんですかね・・・。

 

現代では虫の声を楽しむという人もほとんどいません。話題になるのはせいぜい夏のセミくらい。

 

 

さて、虫の声といえば、八木重吉という詩人が「虫」という作品を残しています。

 

虫が鳴いてる
いま ないておかなければ
もう駄目だめだというふうに鳴いてる
しぜんと
涙がさそわれる

 

短い虫の命。

命ある限り一生懸命鳴こうとしている虫たち。

その様子は涙を誘われます。

 

虫を見ていると命の儚さを感じてしまいます。

 

 

ところで虫たちは、自分の命が短いということを知って鳴いているのだろうか?

 

そんなことはないでしょうね。

 

鳴いているのはただの本能です。この世に生まれでて、「鳴く」機能を持ったため鳴いているに過ぎません。

 

別に、

 

今鳴かなければ、もう死んでしまうから一生懸命鳴いておこう!

 

とか

 

命があるうちは一生懸命鳴かなければならない

 

などとは毛頭思ってないでしょう。

 

 

虫たちは

 

ただ「鳴いてる」だけ

 

なのです。

 

 

そこに意味づけをしたがるのが人間のという生き物なのです。

 

 

☆☆☆

 

 

「虫」の主題が「命」であることはまちがいないでしょう。

 

では、「命」に意味があるのでしょうか。「生きてる」ことに何か意味があるのでしょうか。

 

ブラック企業に勤めていた方や、いじめをあった子どもが自殺をするニュースを頻繁に目にします。

 

そうやって、亡くなっていった方にとって、生きてることには、もはや意味のないことだったのでしょう。

 

ただ、私が思うに、

 

もともと「生」とか「死」あるいは「人生」に意味なんてありません。

 

人は「なぜ生まれたか」とか、「どうして自分は存在してるんだろう」と疑問を持つ生き物です。

 

しかし、もともと意味があるわけではないので、その答えは永遠に得られません。

 

もともと生きてることに意味なんてない。

意味は自分でつくるもの。

 

それが私の答えです。

 

そして、せっかくこの世に生まれ出たので、自分の人生にいい意味づけをしていきたいものです。

 

おれは贅沢するために生まれてきた!

 

とか

 

おれは困ってる人を助けるために生まれたんだ!

 

って感じで。

 

 

☆☆☆

 

 

パワハラやセクハラをする上司とか、理不尽ないじめをおもしろ半分でやってくるクソ野郎たち

 

そんなやつらのせいで、自分の人生を終わらせるなんてあり得ないことです。

 

そんな場所からはとっとと離れ、自分の人生にいい意味付けができるところに行きたいですよね。

 

秋の夜長に鳴く虫たちが、自分の意志で(意志と言えるものかわかりませんが)鳴くように、我々も自分の声でしっかりと鳴いていきたいものです。